「すまん。面倒をかけたな」
結果として星矢に無理を強いた形になった氷河が、彼の口からは滅多に聞けない謝罪を口にする。

その言葉を受けて、ダイニング・テーブルの椅子に反り返るような姿勢で座り直した星矢は、大袈裟に吐息しながら、呆れたようにぼやいた。
「──おまえに好きだって言われたくらいのことが、そんなに嬉しいことなのかよ、瞬の奴は。石橋を叩いて渡らず自力で泳ぐのが身上のあの瞬が、まるで盆と正月が一度に来たみたいに浮かれちゃってさぁ……」

「まあ、人は、よっぽどのことがない限り、他人が自分を好きでいるかどうかなんて、いちいち確認しないものだからな。好きでいてくれるかもしれない、嫌われているかもしれない、好きとも嫌いとも思われていないかもしれない──のどれかだろうと漠然と思っているだけだ。はっきり好きだと言われたら、嬉しいし安心もするさ。自分が苦手だと思っていた相手でも、相手が自分を好いていてくれることがわかったら、好きになることが多いんじゃないのか」

星矢の疑念がそこにあるわけではないことを承知の上で、紫龍が一般的な解説に及ぶ。
星矢は、ここに至ってやっと、自身の憤りの本当の理由を自覚することになった。
自覚したなら、口にせずにはいられないのが星矢である。
「それはわかるけどさ、好きだって言われたら嬉しいのもわかるけどさ、けど、相手は氷河だぞ!」

そうだったのである。
雑兵相手の苦戦や技の名を叫ばない流星拳など、大した問題ではない。
星矢的問題点は、まさにそこにあったのだ。

「……どういう意味だ」
それまでは、存外に本気で星矢たちに悪いことをしてしまったと反省していたらしい氷河が、星矢の問題点を聞かされて、おもむろに顔を歪める。

氷河の睥睨に臆した様子もなく、星矢は言葉を続けた。
「おまえなんかの告白に、それほどの価値があるとは思えないってことだよ! いつも不安そうで、いつも誰かの心配ばっかりしてた瞬が、あんなに浮かれて、あんなに落ち着きをなくすくらい──」

そこでいったん、星矢は言葉を途切らせた。
言葉にしてしまうと、納得はできないながらも、瞬の喜びの程が知れて、我知らず溜め息が漏れる。
そうしてから星矢は、しみじみと呟いた。
「嬉しかったんだろうなぁ、瞬……」

「『愛されているという驚きほど、神秘的な驚きはない』と言うからな」
紫龍は薄く苦笑して、僅かに星矢に頷いてみせた。

「悪かった」
氷河が再び、頭を下げる。
氷河の素直な謝罪などというものも、瞬の明るく軽快な小宇宙同様、そう頻繁にお目にかかれるものではない。
それだけ──自分に非のないことの責任を負っても構わないと思えるほどに──氷河もまた、瞬の反応のせいで、大らかな気持ちになれているようだった。

「ま、瞬が嬉しいなら、俺たちも嬉しいし、やな気分にはなんないけどさー……」
その相手が氷河だという事実は、相変わらず星矢を納得させていないようだった。
だが、それは、他の誰かなら納得できるという類のことではなかったし、また、それを決めるのは他の誰でもない瞬自身なのだということは、星矢にもわかる。
それは、納得できなくても、受け入れることしかできない事実なのだ。

紫龍が、そんな星矢を見やり、苦笑の上に苦笑を重ねる。
それから、彼は、氷河に向き直った。
「瞬を連れ戻してこい。嬉しくても、腹はふくれない」

嬉しい時にいっぱいになるのは、普通は胸だけである。






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