氷河のばか






「明日、お仲間がひとり、そちらにいくから、仲良くしてやってちょうだい」
ギリシャにいる沙織から、城戸邸に連絡が入ったのは、夏も終わりかけたある日のことだった。

連絡のあった翌日、『お仲間とはいったい誰のことだろう?』と、訝っていた青銅聖闘士たちの前に現れたのは、確かに彼等の“お仲間”だった。──かつては敵でもあったが。
濃い色の髪、温順とはお世辞にも言い難い態度、険しい眼差し。
最後に見掛けた時より少し痩せた他は、星矢たちの記憶に残る通りの姿が、そこにあった。

「ブラックアンドロメダ……」
自らが倒した最初の敵の姿を、その場に見い出した瞬は、彼の名を──というより、通り名を──呟いたきり、言葉を失った。

「なんだ、貴様、まだ生きていたのか」
瞬の受けた衝撃を察した氷河が軽く舌打ちをして、この思いがけない訪問者に、随分な歓迎の辞を述べる。
それは、まるで、洋服に残るしぶとい汚れを罵るような口調だった。

「氷河……!」
喜びの色も歓迎の色もない氷河の声音を咎めるように、瞬が氷河の名を呼ぶ。
氷河は大仰に瞬に肩をすくめてみせた。
「いや、よりにもよっておまえを本気で怒らせて、ズタボロにされたと聞いていたんでな」
「氷河……」

瞬の瞳が曇るのに慌てて、氷河が言葉を継ぐ。
「あ、おまえを責めているわけじゃないぞ。悪いのは、こいつだ」
「そういうことじゃなくって!」

沙織の指示でここにやってきたのなら、ブラックアンドロメダは今はアテナに敵対していないということなのだろう。
もう少し快く歓迎の意を示してやれないのかと、瞬は言いたかったのである。
瞬は、彼が生きていてくれたことが嬉しかった。

「生きててくれたんですね」
かつては敵であった“お仲間”を振り返り、瞬は言った。
「おかげさんで」
皮肉な口調の返事が返ってくる。
その声を再び聞けたことが、瞬は素直に嬉しかった。

「よかった……。あ……あの時はすみませんでした」
「今更、この俺にしおらしい振りしてみせても無意味だぞ。貴様等兄弟のせいで、俺たち暗黒聖闘士は散々な目に合った。貴様の兄貴はうまく立ち回って、今はちゃっかりアテナ側についてるらしいが、俺はと言えば、こうしてアテナに拾われて、捕囚の辱め。さぞかし、いい気分だろうよ」

「…………」
瞬は、彼に何も言い返せなかったのである。
闘いの連続の日々、次々に現れる新しい敵。
そんな中で、瞬は、今の今まで、彼等のことを思い出す時間を持てなかった──忘れていた。これ以上の罪と侮辱があるだろうか。

「ごめんなさい……」
瞬は肩を落として、もう一度、呻くように彼に謝罪した。
彼を、忘れてしまっていたことを。






【next】