「なんだ。相手は一輝か。意外性も何もないな」
引き出すことに成功したブラックアンドロメダの本音を聞いて、氷河は実につまらなそうな顔になった。

「意外性の必要なことかっ! いや、それ以前に、俺にはそういう趣味はないっ!」
「まあ、だとしたら、確かに瞬は邪魔だろうな。いじめたくなる気持ちはわからないでもないぞ」
しみじみと呟いて、氷河がゆっくり深く頷く。
「人の話を聞いているのかっ、貴様っ!」

“馬鹿”モードに入った氷河が、人の話など聞いているわけがない。
彼は、彼の主張を飄々ひょうひょうと続けた。
「しかし、瞬を傷付けるのは逆効果だ。そんなことになったら、一輝は、ますます瞬を気にかけることになる。なにしろ奴は、漢字の漢の字でオトコと読む男だからな。むしろ、瞬が幸せでいてくれるなら、それでいいと考える奴だ。瞬は幸せなままにしておくのがいちばんだ。一輝の注意を瞬から逸らしておきたいのなら」

「…………」
他人の話を聞かない男の理論には、しかしながら、一理があった。
ブラックアンドロメダが、一瞬 思わず反論を忘れる。
──というより彼は、氷河の論理の飛躍に、それ以上ついていけそうになかった。

「まあ、ここにいれば、そのうち一輝がふらりと帰ってくる。その時には、俺が瞬とべたべたいちゃいちゃしてやるから、その隙におまえは一輝に接近すればいい」
互いを利用しようという魂胆が見え見えの提案だったが、それにも一本 筋が通っている。
“馬鹿”には“馬鹿”の理屈があるということなのだろう。

氷河の根性の悪さに、むしろ呆れて、ブラックアンドロメダの口調と表情からは、刺々しさがすとんと失われてしまった。
「おまえ……馬鹿というより、小ずるいぞ」

「俺は、自分の幸福追求に素直かつ正直なんだ。おまえのようにヒネていない。人間、幸せへの最短経路は馬鹿になることだ。馬鹿になった瞬間に、幸せが自分のものになる」
「…………」

氷河には、マトモな日本語が通じない。
馬鹿者の国と利口者の国では、使う言葉や価値観がこうも違うものかと、ブラックアンドロメダは深く嘆息した。

そして、ブラックアンドロメダは、ふいに、『イワンのばか』の物語を思い出したのである。
軍隊の力も金の力も解さない馬鹿のイワンに対峙した時、悪魔は、こんなふうな脱力感を覚えたのかもしれない。
今のブラックアンドロメダは、馬鹿のイワンの相手をした悪魔よりも脱力しきっていた。
彼は疲れ、疲れていることにも疲れ、両の肩から力を抜いた。

いっそ正直に、そして素直になってしまった方がどれほど楽だろう。
“馬鹿”の相手に疲れ果てたブラックアンドロメダは、結局そう・・ならざるを得なかった。

「本当は……一輝様じゃないんだ。暗黒聖闘士が全員揃ってたあの頃なんだ。俺が欲しいのは」

口にして初めて、ブラックアンドロメダは自覚したのである。
ああ、そうだったのだ──と。

「あの頃の俺は、おまえたちみたいに馬鹿でいられた。一輝様も仲間たちも、信じてない振りをして信じてた。あの頃を──」

自分が求めていた幸福は、

「あいつらが生きているのなら、俺は、あの頃を取り戻したい」

手に入れたいものは、それだったのだ──と。


「信じて貫けば、夢は叶うものだぞ」
馬鹿の氷河は、真顔で、ブラックアンドロメダにそう言った。



** 参考 ** 『イワンのばか



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