氷河がブラックアンドロメダの部屋を出て階下におりていくと、庭先に瞬の姿があった。 城戸邸の庭を包む午後の陽射しは、そろそろ秋のやわらかさを含み始めている。 「盗み聞きはよくないぞ、瞬」 庭の楡の木にもたれるようにして立っている瞬の瞼が、青味を帯びて伏せられているのを見て、氷河はその事実に気付いた。 氷河の面責には答えず、瞬が小さな声で呟く。 「あの時……僕は、自分だけが幸福を失ったのだと思っていた。僕が壊したんだね、彼の幸福」 「おまえが、じゃない。俺たちが、だ」 「…………」 それは瞬のせいではないと説得することはできないでもなかったのだが、氷河は、あえてそうしなかった。 利用できるものは利用する。 それが、自らの幸福追求に素直で正直な氷河のポリシーだった。 「自分の良心の呵責を少しでも減らしたいのなら、おまえは、俺と仲良くしていればいい。奴は一輝と一緒にいられた時間を取り戻したいんだそうだ」 「兄さんと……?」 どんなに“馬鹿”になっても抜けることのない瞬のブラコン気質が、その表情を複雑なものにする。 委細構わず、氷河は彼の言葉を続けた。 「ブラックアンドロメダが生きていたんだ。他の奴等も生きていないとは限らない。おそらく、沙織さんが捜してくれているだろう。その結果が出るまでは──あいつに一輝をあてがって、心を慰めてやるのが、心優しいおまえの務めだ」 もっともらしい顔で、もっともらしい理屈をこね、もっともらしい忠告を口にする氷河に、瞬は呆れたような目を向けた。 「……氷河、馬鹿どころか、日に日に ずる賢くなってるような気がする」 氷河は当然、瞬のそんな言葉は聞こえていない振りをした。 「その分、俺がおまえをいっぱい構ってやる。遊園地、動物園、水族館、どこがいい」 聞こえていない振りをしている氷河を問い詰めるような愚行を犯すほど、瞬は“利口”ではない。 瞬はすぐに表情を和らげて、氷河の腕に自分の手を絡めていった。 「動物園!」 利口で馬鹿な瞬の返事に満足して、氷河が頷き返す。 「じゃあ、明日にでも、夏バテの抜けていない白クマの見物にでも行くか」 「え? でも、それは、一輝兄さんが帰ってきてからの話でしょ。それまでは──」 いったん言いかけた言葉を途切らせてから、瞬は、ふと思いついた提案を氷河に告げた。 「明日、三人で行こっか、動物園」 「なに?」 瞬の素晴らしく素敵な提案を告げられた氷河の片眉が、ぴくりと引きつる。 二人きりの楽しいデートに、第三の男が闖入してくることを、いったい誰が喜ぶだろう。 普通の──瞬以外の──人間は、決してそんな事態を歓迎しない。 そして、氷河は、瞬に比べれば、かなり普通の人間だった。 「おい、瞬。俺はあくまで、おまえと二人で……」 「そうしよ。ねっ。それで、兄さんが帰ってきたら、その時には4人で行こうよ」 「一輝と動物園だとぉ〜っ !? 」 ブラックアンドロメダが自分たちの間に入ってくるだけでも、嫌な予感を拭い去れないところに、瞬の兄までが混じったら、最悪の事態に至るのは必定である。 自分の蒔いた種が、とんでもない方向に芽吹こうとしていることに衝撃を受けて、氷河は、城戸邸の庭に悲鳴を響かせた。 |