「僕は……闘わないことはできない。氷河たちが闘ってるのに」 そうだ。 おまえは闘わずにいることはできない。 自分の理想を実現するために無抵抗主義を貫いて、瞬がもし死んだなら、その死は瞬の仲間たちを泣かせ迷わせることになるだろう。 だから瞬は、闘うしかないんだ。 俺たちのために。 「僕は、そんなことができるほど強くない」 かわいそうな瞬。 仲間を見捨てる勇気を持てない、弱い瞬。 そんなふうに、おまえを偽善者にしているのは俺たちだ。 正しいことのためになら、その正義を妨げる奴等を傷付けるのも仕方がないと割り切っている俺たちより、おまえが苦しんでいることは知っている。 そして、俺は、そんなおまえを救ってやれないんだ。 瞬を救うことは いや、 「イエスは── 一人で闘った。母も兄弟も、最後には弟子たちも捨てて、一人で自分の道を歩みぬいた。自分の意思を曲げないことで、周囲の人間が受ける迫害や悲しみをものともせず、孤独も怖れなかった。そして、一人で死んでいった。だが、おまえはイエスじゃない。そこまで強くもないし、冷酷でもない。だから──」 理想の実現のために全てを捨てたイエスの峻厳より、人は、愚かな母親にすぎないマリアを愛する。 孤高のイエスは母マリアに向かって、『私と信仰を同じくする者でなければ母ではない』と言いきった。 イエスの母は、我が子からの拒否に、どれほどの苦しみを味わったか。 彼女は、イエスの信仰が何であれ、彼を愛したに違いないのに。 母よりも信仰を選んだ我が子を、それでも愛し見守り続けた彼女は、どれほど強い女性だったか。 瞬は、 瞬は弱いから。 瞬は神ではなく人間だから。 そして、瞬はあまりにも“人間”すぎるから。 だが、その代わりに。 「行動の伴わない偽善者と言われようが、口先だけの理想主義者と言われようが、おまえが死ぬ時は、イエスのように一人じゃない。俺たちが一緒だ」 「氷河……」 瞬が自分の理想を犠牲にし、そうすることで自分自身が傷付いても、守ろうとしているもの。 それが俺たちなのだから、俺たちだけは、何があっても、瞬を理解し、許し、抱きしめてやらなければならない、と思う。 「綺麗な夢や理想を持つことは悪いことじゃないさ。たとえ叶えられなくても、それは価値のあることだと思う。おまえを非難する奴等は、叶わないかもしれない夢を口にすることを恥ずかしいと考える、気の毒な小心者だ。裏切られて傷付くことを怖れて、最初から人や夢を信じようとしない人間もいる。おまえは、そういう奴等に優しく同情してやればいい。おまえが傷付くことはない。おまえは──おまえには、俺たちがついている」 せめて、俺たちが、瞬の慰めになり、救いになるように。 |