ゲゼル星の人々は、普段は男でも女でもなく中性で、対峙する相手に性的魅力セックスアピールを感じると、即座に生殖可能な状態に変化する。
相手に男性的魅力を感じれば女性に、女性的魅力を感じれば男性に。
対峙する相手とその状況によって、無性むせいから有性へと変化するのである。
発情のしるしは、視覚で確認できる。
生殖器に先立って、髪の色が変わるのである。

ゲゼル人の髪の毛は、誕生から12、3歳頃までは処女雪のように白い。
肉体の成熟に伴って、その髪は徐々に緑がかっていく。
春の訪れを知って、雪の下から蕾を覗かせるふきのとうのような、白く霞んだ緑色に。
そして成人後、この人を自分の産む子の父親にしたいと思える相手に出会った“女性”の髪は、命を養う大地の色に変わり、我が子の母親たるべき相手に出会った“男性”は、その髪を生命の源である太陽の色に変える。

ゲゼルの科学は、つまり、生殖意欲を示す脳内ホルモンであるノルアドレナリンと快感増幅のホルモンであるドーパミンの分泌を、脳内だけの変化に収めておかず、身体の外面の変化に連動させることを可能にしたのである。

対峙する相手の髪の色の変化を見れば、時間をかけて彼(もしくは彼女)の心の中を探り合う必要はない。
それから、半日をかけて、衣服で隠されている生殖器がそれぞれの性に適合した変化を完了する。
朝に出会い、互いを我が子の父または母として好ましいと思えば、食事もプレゼントも抜きで、夜には同じベッドに入ることができるのである。

ゆえに、ゲゼルの星の住人たちは、恋をしても、それを言葉で相手に伝えることはない。
彼等の身体が勝手に準備OKの意思を示し、数時間の後には性交が可能な状態になる。
そういう相手としての価値を認められていないことも、すぐにわかる。
相手は有性の状態にならず、緑色の髪の色は変化しない。
相手にその価値を感じなくなった時にも同様に、緑色の髪に戻る。

髪の色の変化が示すものは、人間として、あるいは友人としての好き嫌いではない。
あくまで、性交と生殖のパートナーとしての価値を相手に認めているか否か、である。
その点に関しては、感情の行き違いもない。
否が応でも、相手の気持ちは、明確なしるしとして眼前に示される。
そのため、ゲゼルの恋人たちは恋にも失恋にも非常にドライである──ということだった。

星の子供を一人でも増やしたいゲゼルでは、無論、生殖行為の制限に繋がるような婚姻制度もない。
60歳を過ぎた者たちにのみ、パートナー登録が認められているだけである。

そうしてできた子供を育てる環境や施設も、地球よりはるかに整っている。
子供は親のものであるが、それ以前に星の財産なのだ。
親は、望めば自分の手許で我が子を育てることもできるが、経済的心情的その他の理由でそうすることが不可能な場合には、政府が管掌する育成センターに生まれた子供を預けることになる。
その子供には、育成センターで完璧な育児と教育が施され、適職の提示までが行なわれることになっていた。

地球では、星の規模に適性な人口を維持するための方策として、ゲゼルとは違う道を選んだ。
親の意思には無関係なところで、必要に応じて、必要な数の子供を生成する人工授精の技術である。
星の資源を使い果たし、人口も飽和状態にあった地球と、資源は有り余るほどにあったが人材が足りなすぎたゲゼル星とでは、自ずから人口対策が異なっていくのも当然のことだったろう。

確かに、ゲゼルに生まれる子供たちは、長い時間をかけて恋を楽しみ、愛を育んだ末にできた子供ではない。
彼等の命は、一時の情熱と欲望の果てに生まれた命ということもできる。
しかし、その一時の情熱は、決して偽りではなく真実のものであり、そこに嘘は存在し得ない。

親許にいるよりもはるかに行き届いた生活と教育が約束されているにも関わらず、ゲゼルの子供たちの半数は、彼等の両親と共に暮らしていた。






【next】