「──泥パックでも始めたのか」 その昔、地球の死海で採れる海泥を髪や全身に塗りたくって、己れの若さを保とうとした女王がいたことを、氷河は思い出すともなく思い出していた。 瞬の後を追って、その奇妙な匂いの素があるらしいバスルームに入った氷河が、そこで見付けたものは、洗面台いっぱいに湛えられた黒い泥のような液体だった。 タールのような粘性を持ったその液体が、饐えた匂いの源だったのである。 「あ……あの……」 顔をあげた氷河の視線の先で、瞬が、泣きそうな顔をしている。 氷河への弁明の言葉を探し、だが、それを見付けることができず、結局瞬は、崩れるようにその場にへたり込んでしまった。 それから、瞬は、氷河には奇跡にも神の恩寵にも思える言葉を、涙の下から迸らせてくれたのである。 「黒い髪になりたいの……! なりたい! なのに、どうして、僕の髪は緑色のままなの! こんなに好きなのに、好きなのに、どうして、僕の髪は変わらないの! これは恋じゃないの? だったら、この気持ちはいったい何なの……!」 「瞬……?」 「黒い髪になったら、氷河を引き止められると思ったのに、どうやっても、何をしても、僕の髪の色は変わらないの……!」 瞬の涙ながらの訴えを聞いた時の氷河の気持ち──それは、いわく言い難いものだった。 瞬が苦しげに肩を震わせて泣いているというのに、氷河の心は、重く鬱積していた灰色の霧が一斉に晴れていくようで──氷河は、信じてもいない神という神に片端から感謝の言葉を捧げてまわりたい気分になった。 子供のように泣きじゃくっている瞬の前に膝をつき、幾分震えを帯びた声で尋ねる。 「おまえは、俺を好きでいてくれるのか?」 瞬は、それには何も答えず、ただ、その緑色の髪を切なげに左右に揺らした。 「一緒にいたいと思っていてくれるんだな?」 重ねて尋ねた氷河に、瞬がやっと伏せていた顔をあげる。 その大きな瞳いっぱいに涙を湛え、瞬は身悶えるように氷河に叫んだ。 「離れたくない……! ずっと一緒にいたい! なのにどうして、僕の髪は緑のままなのっ!」 髪の色。 そんなものが、いったい何だというのだろう。 それは、瞬の涙ひとつぶほどの意味も重みも持っていない。 氷河は、それこそ、1年分の思いの丈を全てその腕に込めて、瞬を強く抱きしめた。 瞬が、ゲゼル人の女性と地球人の男性との間に生まれたハーフだということがわかったのは、その翌日、氷河に勧められた瞬が、両親の情報開示の申請を育児センターに提出した時だった。 |