各国の都市の人口分散に伴い、陸海空の交通機関は、この数十年間で飛躍的な発展を遂げていた。
大量の救援物資を積んだ大型の輸送用ジェットヘリで、極東の島国からアフリカまでを僅か3時間ほどで往復できる。
操縦も、目的地の入力と離着陸以外は完全にオートマチック化されていた。

「チャドで洪水災害なんて、半世紀前には起こり得なかったことだぞ」
離陸を済ませると、目的地到着までほとんどすることがなくなる操縦士が、今朝の話を蒸し返してくる。
機内のコンピュータのモニターに映し出される現地の被害状況資料と住人の避難状況報告を眺めているうちに、氷河は腹が立ってきたらしい。
こらえ性のない人間が自然に逆らいすぎたのが、地球のご機嫌斜めの原因だ──というのが、氷河の持論だった。
あのドームが、氷河はつくづく嫌いなのである。

「自分も快適に暮らしたいけど、自分の家族や友人にも快適に暮らしてほしいっていう気持ちが、その方面でのことを発展させてきたんだから、それを一概に批判することはできないでしょう。こうなる以前は、厳しい暑さや寒さのせいで健康を損なう人や命を落とす人もいたんだからね。だいいち、今は、僕たちもその恩恵に預かっているんだから」

なだめるように瞬は言ったのだが、ことこの件に関して、氷河が他者に言いくるめられることは滅多にない。
彼は、更に言い募った。
「肉体の耐性だけじゃないぞ。人類は心も虚弱になってきている。昔の人間なら耐えられた苦しみや悲しみにも、今の人間は耐えることができなくなっているんだ」

「…………」
氷河の演説は、あと10分寝ていられなかったことへの腹いせではないらしい。
瞬は、少し真顔になった。

「人間は多分、甘やかされすぎなんだ。知ってるか。地球の都市部に住んでいる人間の3割が鬱病経験者、予備軍がその倍もいると言われてるんだぞ」
氷河の主張は、『今時の若い者は』を連発する壮年以上の世相評論家のそれに似ている部分がないでもなかった。
が、氷河は、人類の現状に憤っているのではなく、昔を懐かしんでいるわけでもなく、ただ憂えているだけなのだ。──誰にも予測できない地球の未来を。

それがわかっているから、瞬はいつも、彼をいさめることはせずに、慰撫するのである。
「人の心が過剰に繊細になってきていることは否定しないけど、でも、人は、大切な人を苦しめないために、自分が苦しむことを厭わない強さだって持っているよ。そんなに人類に悲観することはないんじゃないかな」

「そう……だな」
氷河が今日は、存外簡単に、自分の意見を引っ込める。
珍しいこともあるものだと、瞬は首をかしげた。

氷河の恭順の原因は、どうやら、話題が、自然への人類の反逆から心の問題に推移したせいだったらしい。
彼は、彼の隣りの副操縦士席に着いている瞬の髪に、手を伸ばしてきた。
「俺がこんな偉そうなことを言っていられるのも、おまえがいてくれるからだ。おまえが俺を甘やかしてくれるから」

「……僕は、氷河が・・・望む限り・・・・永遠に・・・、氷河の側にいるよ」
「俺も、もちろん」

その言葉に氷河が頷く様を見た瞬の意識の内に、ふいに奇妙な疑念が湧いてくる。
『僕は、氷河が望む限り永遠に、氷河の側にいるよ』
それは本当に自分の意思なのだろうかと、瞬は思うのである。
それは時折、ちょっとした折につけ、瞬の心の中に浮かんでは消えていく懐疑の思いだった。

瞬は、遠い昔に──氷河に・・・出会う・・・以前に・・・──そうすることを、誰かに命じられたことがあるような気がしてならないのだった。
だが、そんな記憶は瞬の中にはない。
それは、まさに錯覚──のはずだった。






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