「氷河。氷河がそんなに兄さんに復讐したいのなら、僕を苦しめればいいと思わない? それがいちばん効果的だよ」
僕が氷河にそんな提案をしたのは、ギリシャ神話のアンドロメダ姫みたいな犠牲的精神からじゃない(そもそもアンドロメダ姫だって、自分から望んで海獣の生け贄になろうとしたわけじゃないと思うけど)。

僕がそんなことを氷河に言ったのは、その方が僕が・・楽だから。
氷河が兄さんに意地悪したり、傷付けようとしたり、命を狙ったりしているのを傍で見てるより、僕が氷河の直截的なターゲットにされてる方が、僕が安心していられるもの。

「なに?」
氷河は、それは考えていなかったらしい。
僕の方が戸惑ってしまうくらい、氷河はびっくりしたような顔になった。

「それは……そうだが……」
「でしょう」
「それは、その通りだが、俺にはそんなことはできない」
「どうして」
「俺が憎いのは一輝だけだ。他の奴等を巻き添えにする気はない。俺はそこまで判断力を失ってはいない」

「でも、一輝兄さんを苦しめたいんでしょう。だったら僕を──」
これは方便。
一輝兄さんは、僕にいつまでも非力で兄を頼る弟でいてほしいと願うくらいに、僕が強いことを知っているから──信じてくれてるから、そんなことになっても苦しんだりはしないと思う。
それに、僕は、氷河や兄さんほど繊細じゃないから、僕自身も、僕自身が苦しいことにはさほど苦しまない──んだ。

氷河は、僕の提案が──なぜだろう?──気に障ったみたいだった。
いらいらした様子で僕の相手をしていた氷河は、最後に辺りに大きな怒声を響かせた。
「できるわけないだろう!」
氷河の怒鳴り声は、悲鳴みたいに聞こえて──僕は目を見開いて息を飲んだ。

驚いて ぽかんとしていた僕を、怒ってるような困ってるような目で、氷河が睨みつけていた。
自分の主張が間違っていたことを指摘されて、でも素直に自分の意見を撤回することができずにいる意地っ張りの子供みたいに、真っ赤な顔をして。
そんな氷河の表情が、ふいに僕に、子供の頃の色々な出来事を思い出させ始めた。

泣き出した僕のところに、兄さんに一歩遅れて駆けつけてきた時の、氷河の忌々しげな顔。
その年の最初のスミレを見付ける競争で兄さんに遅れをとった時の、氷河の悔しそうな顔──スミレは僕の好きな花だった。
ああ、それから、氷河と二人でたんぽぽの綿毛を飛ばして遊んだこともあったっけ。
そんな女の子みたいな遊び、氷河は興味ないだろうと思っていたのに、あの時 氷河はすごく嬉しそうで楽しそうだった──。

子供の頃のそんな些細な出来事を、長く繋がった数珠を手繰たぐるように思い出しているうちに、僕は何となく──なんとなーく、そんな気がしてきたんだ。
もしかしたら。
そうなんじゃないのかなって。






【next】