役に立たない師匠を追い詰めて貴重な時間を浪費するようなことは、氷河とてしたくはなかった。
ゆえに、彼は早々におのが師に見切りをつけることにした。
──のだが、ここに問題が一つ。

「しかし、俺はドイツ人に知り合いはいない」
「いるじゃないか。ハーデス城の女主人が」
「なに?」
ここで、自身を傀儡くぐつのように操ってくれた女性の存在を持ち出してくるあたりに、氷河は、カミュの体面保持への尋常ならざる執念をひしひしと感じることになったのである。
窮鼠猫を噛むの例えもある。
彼の師を追い詰めることは得策でないと再認識した氷河は、カミュの持ち出した話に素直に乗ってやることにしたのだった。

「パンドラ……だったか」
「そうそう。『お心清らかなる冥界の王』の名フレーズを吐いた人物だ。彼女自身、詩才もあるのではないか?」
鬱陶しい弟子を追い払うために、カミュはなりふり構わぬ覚悟らしい。
彼は、一度は敵対した相手の詩才を褒めることまでしてのけた。

その、問題の女性。ハーデス城の女主人パンドラ。
カミュの言及した『お心清らかなる冥界の王』を、優れた洞察力と表現力から出た名フレーズと認めることには、氷河は決してやぶさかではなかった。
が、そのあとに続く言葉がいただけない。

──『我が愛する弟よ』
別にどこの誰から聞いたわけでもないのだが、彼女が瞬をそう呼んでのけたという噂は、氷河の耳にも届いていた。
血が繋がっている一輝でさえ、遠慮と常識があったなら瞬の兄面などできるものではないはずなのに、瞬とは一滴の血の繋がりもない立場にありながら、彼女はそれをしてのけたのだ。
つまりパンドラは、一輝以上の図々しさを持つ人間だということになる(氷河にとっては、そうだった)。

そんな人物に、繊細な恋の詩など作れるものだろうかという懸念を抱きつつ、しかし、他に良い策も持たなかった氷河は、結局、いつのまにやら復活なっていたハインシュタイン城──またの名をハーデス城──に赴くことにしたのだった。






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