黒衣の少女は、存外に上機嫌で、かつての敵を城内に迎え入れてくれた。 ハーデス城の女主人は、なかなか聡明な人物であるらしい。 一度主人公側キャラに敗北を喫した者がその後も作品内で生き延びるためには、我が身を主人公サイドに移行させるしかないという車田漫画の鉄則を、彼女はよく心得ているようだった。 「何でも聞くがよい。我がハインシュタイン家は10世紀コンラート1世より爵位を賜った由緒ある家柄、ナポレオン以降に爵位を手に入れた成り上がり貴族などとは格も品も教養のレベルも違う。頼ってくる下賎の者を足蹴にするようなことは決してすまいぞ」 いちいち家柄や爵位を持ち出す人間のどこに品があるのかと、そんな正直な意見を、もちろん氷河は口にはしなかった。 パンドラ同様、彼は利口なのである。 パンドラが上機嫌でいるうちにと、氷河は早速用件を切り出した。 「恋の詩の作り方を、俺に教示してほしい。ドイツはゲーテやハイネの生まれた国、ハインシュタイン家の令嬢もさぞや詩才に恵まれていることと思う」 「恋の詩?」 パンドラは少なくとも、カミュよりは頼り甲斐のある教養人のようだった。 彼女は氷河の用件を聞き終えるなり、氷河の前で朗々とハイネの詩を 「君が瞳を見るときは、たちまち消ゆるわが憂い。 君にくちづけするときは、たちまち晴るるわが思い。 君がみむねに寄るときは、天の悦びわれに湧き、 君を慕うと告ぐるとき、涙はげしく流れ落ちたり──の“詩”か?」 「そうだ。その“詩”だ。それのキグナス氷河バージョンを作ってみせてくれ」 頼り甲斐のある師に出会って、氷河は図々しくなっていた。 もはや自分で詩作をする必要はない、彼女にそれらしい詩を作らせ、それを自作として瞬に披露すれば、それで瞬は満足するに違いない──と、氷河は横着を決め込んでしまったのである。 パンドラは、氷河の卑劣な企てに気付いた様子はなかった。 ないどころか彼女は、氷河の向学心を褒めることさえしてくれたのである。 「下賎の身で、教養を身につけようとする、その心意気は見あげたものよ。で、その詩は誰に捧げるものなのだ?」 彼女の褒め言葉を氷河が全く喜ばなかったのは、賞賛の前提が気に食わなかったからだった。 下賎の身であるところの氷河は、わかりきったことを尋ねてくる高貴な女性に、不機嫌そのものの表情と声音で答えた。 「この俺が詩を捧げるほどの価値を持つ人間が、この世に瞬以外にいるはずがないだろう」 「おお、そうか。そうであろうの。瞬以外にいるはずが──瞬?」 パンドラが、氷河の言葉を理解するために少々の時間を要したのは、『瞬=アンドロメダ座の聖闘士→ハーデスの依り代』という人物の連結作業に手間取ったからだったろう。 「瞬……とは、ハーデス様のことか !? 」 「瞬を、あんな寝とぼけた神の名で呼ぶな」 氷河のクレームを聞き終える前に、バンドラが、眉と髪とを逆立てる。 それとほぼ前後して、氷河とパンドラがいたハーデス城の客間では、瞬のネビュラストームもかくやとばかりの暴風が荒れ狂い始め、氷河の身体はその風の渦の中に飲み込まれてしまっていた。 「け……汚らわしい! 何が恋の詩だ! おととい来るがよかろう、このほも野郎!」 高貴な貴族様の言葉使いは、さすがに上品の極みである。 礼儀正しい氷河は、彼女に負けないほど上品な反駁を彼女に献上したかったのだが、その前にパンドラの作った竜巻は、氷河の身体をハーデス城の外に投げ捨ててしまっていた。 |