そんなふうにして、無事に役に立たない男たちに別れを告げることができた氷河だったが、しかし、彼はそこで、自分がこの後どこに足を向けるべきかを迷うことになってしまったのである。
カミュは頼りにならず、パンドラはほも野郎、アイオリアの詩はお門違いで、アフロディーテは著作権法違反。
はたして聖域には、他に頼りになりそうな男はいただろうかと、氷河は考えを巡らせ始めた。

ムウはチベット出身。知っている詩は、せいぜいチベット密教の経文くらいのものだろう。
アルデバランはブラジル出身。ラテンアメリカの情熱的な詩は使えそうな気もするが、牡牛座の黄金聖闘士がそれを知っているとは思えない。
デスマスクはイタリア出身。詩聖ダンテの出た国の人間とはいえ、蟹座の黄金聖闘士に文芸の香りを期待するには無理がある。
ミロとサガは、アイオリアと同じギリシャ出身。これ以上レズの詩は聞きたくない。
中国出身の老師に、「國破山河在、城春草木深」と唸られても傍迷惑なだけである。

「あとは……」
他に役に立つ黄金聖闘士はいただろうかと考え始めたところで、氷河の脳裡に浮かんできたのは、スペイン出身の山羊座の黄金聖闘士だった。
スペインといえば、伝説の詩人ロルカの生まれた国である。
シュラ自身も、少々華やかさに欠けるきらいはあるが、それは彼の周囲の人物たちが悪目立ちしているだけで、山羊座の黄金聖闘士当人は女神への忠義心あつく騎士道精神にあふれた男というイメージがある。

案外そういう人物こそが使える男なのかもしれないと考えて、氷河はひとまず磨羯宮に行ってみることにした。
のだが。

「君はなぜ、私のところに来ないのかね」
一縷の希望を抱いて新たなる一歩を踏み出した氷河の行く手を遮る一人の男。
それは、悪目立ちという点で、この男の右に出る者はいないのではないかと思われる処女宮の主、インド出身・乙女座ヴァルゴのシャカその人だった。

その男の登場に気付いた氷河は、思い切り派手に、隠す様子もなく、あからさまに、顔を歪めてしまったのである。
氷河は、一輝とタイマンを張った男など、まともに相手をしたくなかった。
そもそもインドといえばカーマスートラ(=えっちの指南書)の国、言葉でなく行為の方なら、氷河は自分で研究・体得する方が好きだった。

どうやってこの男の干渉を逃れようかと、氷河が考えを巡らせ始めた時。
氷河が何らかの行動に出る前に、シャカの干渉を遮る物体が、氷河とシャカの間に降ってきた。

「恋の詩といえば、日本!」
シャカを押しのけて氷河の前にしゃしゃり出てきたのは、畏れ多くも智恵と戦いの女神アテナ──の腰巾着だった。

「恋よ恋、我中空なかぞらに為すな恋、恋には人の死なぬものかは!」
世阿弥の名句を胴間声でがなりたてながら、辰巳は颯爽と氷河の前に登場した。
自らの出番を邪魔されたシャカが、ぴくぴくとこめかみを引きつらせる。

「君は私の邪魔をする気なのか、タコの分際で!」
「そっちこそ、青二才の分際で、剣道三段辰巳徳丸を見くびるな!」
タコと青二才が、肝心の氷河を綺麗に無視して、燃えるような視線をぶつけ合い、火花を散らす。
──案外いい勝負のようだった。



■注■ 
「恋よ恋〜」 By 世阿弥 『恋重荷』
「軽はずみに恋をしてはならない。恋のために人が死ぬことさえあるのだから」の意。



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