瞬が運ばれてきたケーキを半ば以上食べ終えた頃、“マモルくんのお兄さん”は、やっとこの会見の用件を語り始めた。
それは、氷河が期待していた(?)値打ちものの布団のセールストークではなかった──残念ながら。

「まず、お詫びします。マモルが長い間入院していたというのは嘘です。ただ、通っていた学校でいじめに合いまして、登校拒否──というか、いわゆる引きこもり状態ではあったのですが」
「え……」

ケーキの上に運ぼうとしていたフォークを持つ瞬の手が ぴたりと止まる。
その様子を見て、“マモルくんのお兄さん”は、すぐに続く言葉を重ねた。
「ご心配には及びません。マモルは瞬くんのメールに励まされて、学校に行くようになって、友だちもでき、今は元気に学校に通っていますので」
「あ……の……」

そういえば“マモルくんのお兄さん”からのメールが来て以来、瞬は“マモルくん”当人からのメールを受け取っていなかった。
瞬はてっきり、見知らぬ他人とのメールのやりとりが家族にばれて、“マモルくん”は家族の誰かに携帯電話を取り上げられてしまったのだと思っていた。
だが、そうではなかった──のだろうか。

瞬が受け取った“マモルくん”からの最後のメールは、『瞬、ありがとう。僕、頑張るよ』という、ごく短い文面のものだった。
では、“マモルくん”は、そのメールでの宣言通りに頑張って、同年代の友人たちの中に戻っていったのだろうか──?

困惑した様子の瞬を、“マモルくんのお兄さん”は、まるで何かを懐かしむような眼差しで見詰め、そして言った。
「マモルは、君に嘘をついていたことをどうしても自分では言えないから、自分の代わりに謝ってくれと、私に頼みました。『本当にありがとう、嬉しかった』と伝えてくれと言っていた」

にわかに事情が飲み込めず瞬きを繰り返している瞬の向かいの席で、“マモルくんのお兄さん”がふいに立ち上がる。
そして彼は、瞬の前に、深くこうべを垂れた。
「申し訳ありません。監督不行き届きで」
「あ……」
自分よりずっと年上の男性に立ち上がって頭を下げられ、瞬は戸惑ってしまったのである。
慌てて、席に着くように求め、“マモルくんのお兄さん”がその言葉にゆっくり従うのを確認してから、瞬は彼ににっこりと微笑んでみせた。

「『よかった、病気の子供はいないんだ』、ですね」
最初、瞬が何のことを言っているのかが、氷河にはわからなかったのである。
少し考え込んでから、それが古いテレビCMの中にあったセリフだったことを思い出した。

酒のCMだったと思う。
バーの入口で貧しげな女性に幾許かの金を渡した男性が、店内に入ってくる。
店内には彼の友人がいて、
「騙されたな」
と、開口一番に言う。
「今 あそこにいた女性に、自分には病気の子供がいると言われただろう? あれは嘘なんだ」
──と。
それを聞いた男性が、ほっとしたような表情になって呟いた言葉がそれだった。

『よかった、病気の子供はいないんだ』
それは、瞬の、嘘偽りも義理も何もない心からの吐露だったのだろう。
瞬の笑顔には、自分が騙されていたことへのわだかまりは かけらほどにも浮かんでいなかった。

「マモルくんが元気でいてくれて、お友だちもできたのなら、僕も嬉しい。お兄さんに謝られることなんて、ひとつもありません」
「本当に……ありがとうございます」
“マモルくんのお兄さん”は、今度は着席したまま、再度瞬に頭を下げた。
唇を噛み、何かを味わうような面持ちで。

“マモルくんのお兄さん”の表情は、彼に真正面で頭を下げられた瞬には見えなかったのだろう。
しかし、氷河は見てとることができた。
“マモルくんのお兄さん”の目許には苦渋の色がにじんでいるような気がした。






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