はまぐり雪のある場所から2時間弱の時間をかけて山を下り、日が暮れる前に、氷河と瞬は、剱岳の山荘に入った。
氷河は、ここに来るのは初めてではないらしく、時間配分を心得ていた。
瞬は随分歩き、かなり空気の薄い場所まで来たような気になっていたが、山荘の入口に立つ看板を見ると、そこは山の三合目にも至っていない、まだ麓と言っていい場所だった。

名前だけは山荘だが、実質は、個室が幾つかあるだけの山小屋である。
スキー場のロッジなどのように、レストランやバーの施設があるわけではない。
とはいえ、夏場には相当数の一般人もやってくる場所らしく、ちょっとした休憩所兼宿泊所になっていた。
雪の重みに耐えられるよう、造りそのものはかなり頑丈である。
入口の扉を開けて入ったエントランスホールが、そのままラウンジになっていた。
暖房器具は、さすがに暖炉などという洒落たものではなく、大型の石油ストーブが幾つか置かれているだけ。
コーヒーの香りと登山客らしい数人の男たちの笑い声が、二人を迎えてくれた。

男たちが暖をとっている方に、氷河は無言で歩み寄っていく。
瞬は、戸惑いながら、そのあとを追った。

瞬が戸惑っていたのは、何よりもまず、見知らぬ先客たちに挨拶をすべきなのか、それとも無視するのがこの場での作法なのか──ということに関してだった。
氷河が無言でいることが、瞬の迷いを大きくする。
瞬が対応に困っているところに、新しい客の登場を認めた先客の一人が、氷河に声をかけてきた。

「氷河じゃないか、久しぶりだな」
そう言って氷河の肩を乱暴に叩いてきたのは、言っては何だが熊のような風体をした30絡みの男性だった。
氷河が、右の目をすがめることで挨拶に代える。
こんな場所に氷河の顔見知りがいることに、瞬は驚いた。

「氷河、よくここに来るの?」
「シベリアに帰るより手軽に氷雪を見られるところだからな。しょっちゅう来るわけじゃない。来る者が限られている場所だから、顔見知りになるんだ。特に冬場は」
「ふぅん……」
知らなかったことが、少し悔しい。
瞬は拗ねた気分になって、氷河の顔見知りの視線を避けるように、氷河の陰に隠れた。





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