「あ……」
言われてみれば、その通りである。
だが瞬は、紫龍たちにそう言われるまで、そのことにまるで気付いていなかった──というより、瞬は、とある事情があって気付きようもなかったのである。

「氷河、おまえ、瞬にまるで信用されてないんだな」
星矢が軽蔑の色を隠す様子もなく、氷河を非難する言葉を吐く。
瞬は慌てて、氷河の弁護にとりかかった。
「ご……ごめんなさい、僕……。僕、氷河を信用してないわけじゃなくて、あの、だって僕、どうして氷河が僕といてくれるのかわからなくて、だから――」

「どうしてって、好きだからだろ」
「そ……そういうこと、言われたことないから……」
「言われたことないって、言われたこともないのに、おまえ、氷河とそーゆー仲になったのかよ!」
「僕、気がついたら、氷河に押し倒さ……ううん、あの……」
「気がついたら……って……。氷河っ、おまえ、自分の気持ちはともかく、瞬の気持ちも確かめずに、瞬を押し倒したのかーっっ !? 」

ここまで職務怠慢な男が、この世に存在していいものだろうか。
星矢は周囲に加減なしの大声を響かせて、氷河の無責任を弾劾したのだが、氷河には氷河の言い分が(一応)あったのである。
「俺が嫌いなら、瞬は俺を半殺しの目に合わせるくらいのことができていたはずだろう! それがなかったから、OKなんだと判断したんだ!」

「僕は……僕は氷河が好きだったから……。でも氷河は……」
その先を、瞬は言葉にしてしまえなかった。
ただの暇潰しか、単なる気紛れ、あるいは氷河は自分を手近なところにある欲望処理の道具とみなしているのだと思っていた──などという推測を言葉にすることは、それが誤解だったらしいと思えるようになった今でも、瞬には悲しすぎることだったのだ。

もっとも瞬が言葉にしてしまわなくても、氷河は、こういう時ばかりは勘良く そうと察して眉を吊り上げることになったのだが。
「俺は、好きでもないオトコにそんなことをする趣味はない!」

「ご……ごめんなさい……!」
氷河の怒声にさらされて、瞬は力なく項垂れた。
主人よりも申し訳なさそうな様子で、氷河の手首に絡みついていたチェーンが、しおしおと聖衣ボックスの中に逃げていく。

「悪いのは氷河だろ。瞬が謝ることないじゃん」
「僕が勝手に一人で不安になって、一人で変なふうに思い込んでいただけだもの。氷河は悪くないよ……!」

職務怠慢男を健気に弁護し続ける瞬の姿を見せられて、少しは真面目に仕事に励もうと考えなかったら、氷河は 恋する男失格どころか、それ以前に人間失格である。
「……瞬」
氷河は覚悟を決めて瞬の前に立ち、一度大きく深呼吸してから、清水の舞台から飛び下りる覚悟で、それを言った。

「俺は――俺が聖闘士でいるのは、おまえが聖闘士でいることをやめようとしないからだ。おまえが聖闘士でいるのをやめると言ったら、俺も こんな生命保険にも入れないような危険な商売は さっさとやめるぞ。おまえのためなら、俺は、堅気のサラリーマンにでもラーメン屋の親父にでもなってやる!」
「氷河……」

氷河に堅気のサラリーマンが務まるかどうか、彼はラーメンの作り方を知っているのかどうか──などという根本的なことは、好きな相手からの好意を初めて確認できたせいで、天にも昇る心地の今の瞬には全く重要な問題ではなかったらしい。
瞬の瞳が先ほどの涙とは別の涙で潤み始める様を見て、氷河は初めて心底から、これまでの自分の職務怠慢を後悔したのである。
下品な仲間の目や耳など気にせずに、もっと早くこの言葉を瞬に言っておけばよかったと、彼は虚心に思った。

「俺はおまえが好きなんだ」
そんな簡単な、そんな短い一言で、瞬がこれほど幸せそうな笑顔を見せてくれるのだったなら、と。






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