「シュン! 生きてるか?」
石牢に一つだけある小窓の向こうから、ふいにセイヤの声が聞こえてくる。
シュンが閉じ込められている牢は半地下になっているらしく、シュンの様子を確かめるために、セイヤはほとんど地べたに這いつくばるような体勢をとることを余儀なくされているようだった。

“セイヤ”は、ブランデンブルク王国の将軍であるアスカニエル家の子息・ヒョウガの友人・自分にとっても親しい友人──という情報が、シュンの中に流れ込んでくる。
「シュン。ヒョウガは助けに来れない。ヒョウガにも見張りが貼りついてるんだ。国王陛下はかんかんでさ、おまえを一国の王子を誘惑した不届き者、故国の再興のためにこの国の転覆を謀る反逆者って決めつけてるんだよ」

「セイヤ、でも僕はただ……」
ただヒョウガを好きになっただけなのに──と、シュンは言葉にすることができなかった。
というより、する必要がないことを思い出した。
セイヤはその事実を承知してくれているというデータが、シュンの中に流れ込んできたから。


「まあ、普通に考えたら、おまえの方からヒョウガを誘惑するのが無理なことは自明の理なんだが、悪いのはヒョウガではないと思いたいのが親心というか、身びいきというか……。王室の体面を保つ必要もあるわけだしな。いくらヒョウガが惚れてても、おまえは男だし」
「…………」
セイヤの側にはシリュウも来ているらしい。
ブランデンブルク国内務大臣の子息・ヒョウガと自分の友人・事情をすべて心得た人物──というデータが、シュンの中で再生される。

そのシリュウが、重苦しい口調でシュンに告げた。
「陛下は例の裁きを行なうつもりだ」
「例の裁き?」
「女か虎か」
「え……?」
それは、シュンも昔話として聞いたことがある──昔話としてしか聞いたことのない──古いしきたりだった。
野蛮に過ぎるという理由で、もう半世紀も前に廃止になった裁判方法である。
シュンは瞳を見開いた。

「陛下の苦肉の策だな。まともな裁判なんてできるわけないから。おまえを被告にしたら、原告は国にしても、直接の被害者はヒョウガってことになる。ヒョウガに法廷で本当のこと証言されたら色々とまずいだろ」
「それ以前に、国の世継ぎを法廷に出すこと自体が王室の権威喪失につながるからな」
「うん……」

国王の決定は、国と王位を守りたい一国の王としても、息子の名誉を守りたい一人の父親としても当然のものなのかもしれない。
シュンは、法を曲げた国王の決定を恨む気にはなれなかった。
力なく頷いた瞬に、セイヤが、言いにくそうに言葉を続ける。

「あのな、正確には、『女か虎か』じゃなくて『男か虎か』の裁きになりそうなんだ。何つーかさ、おまえを貰い受けたいって、趣味がいいんだか悪いんだかわかんねー公爵様だの伯爵様だのが何人もいてさ。それで、陛下もそんなこと思いついたらしいんだけど……。おまえが虎に食われるか他の男の慰みものにされれば、ヒョウガも諦めがつくだろうって、陛下はそんな考えらしくてさ……」
つまり、シュンは、死と屈辱のいずれかしか選べないということである。
そのどちらに身を任せるにしても──シュンは、そうなった時の我が身のことより、ヒョウガの胸中を思って身震いした。

「ヒョウガは……知ってるの」
「知らされてる──と思う。でも、今、奴は軟禁状態で動けねーんだよ。脱走を計れば、それもおまえの手引きだと見なして即行でおまえを処刑するって、陛下はヒョウガを脅してる。俺たちも正攻法では会えなくてさ。見張りに金を掴ませて、ほんのしばらく話せただけなんだ」

「裁きは明後日だ。事態の収拾を長引かせると、おまえを助けようとするクレーフェ侯国の残党が反乱を起こすのではないかと、ありえないことを心配してるんだ、陛下は」
「クレーフェ……」

突然、もう10年も前に消えてしまった故国の名を聞かされて、シュンは少しばかり驚いた。
ありえないこと──シリュウがそう言うのなら、それはありえないことなのだろう。
シュンは、なぜそれがありえないことなのかをシリュウに尋ねることはしなかった。
もし故国が存続していたら、その国で自分はどんな地位にあったのか、そんなことは今更考えても詮無いことである。

本来の自分が何者なのかを知らない今のシュンには、係累は全くない。
親族も、気にかけなければならない主君も臣下も、シュンは持っていなかった。
だが、シュンはそんな自分を不幸だと思ったことは、これまで一度もなかったのである。
この国で、シュンはヒョウガに出会い、友人にも恵まれた。
身分は捕虜・下人の類でも、ヒョウガは捕虜の身には分不相応なほどの待遇をシュンに与えてくれた。
友情や尊敬といった、人間が成長し幸福になるための要素にも、シュンは事欠いたことがない。

ヒョウガは子供の頃から、自分に与えられた教材に対して我儘で独占欲も強かったが、それはいつでもシュンに優しく接したい気持ちの不器用な発露だった。
それがわかっていたから、シュンは、自分より年上のヒョウガをいつも可愛いと思っていた。

そうしようと思えば、問答無用でシュンを意に従えることもできるのに、律儀に好きだと告白し、シュンの故国を滅ぼしたことを謝罪してくるヒョウガの姿を見せられたその瞬間に──その時には、シュンがそうだったように、ヒョウガも6、7歳の子供にすぎなかったというのに──シュンが友情や臣下としての忠誠心だと思っていたヒョウガへの感情は、別のものへと一変したのである。

それまで何をするにも──我儘や悪ふざけの類すらも──人目を気にせず堂々と実行していたヒョウガが、二人の関係を守るために、まるで盗人のように夜毎シュンの部屋に忍んでくる屈辱的な行為に耐える様は、シュンのヒョウガに対する負い目と愛情を更に強く深いものにすることになった。

二人の関係を他人に知られた時が破滅の時。
ヒョウガの用心は当然のものだったろう。
忍び逢いしか許されない分 ヒョウガの愛撫は激しく、それは時にシュンに恐怖に似た感情を抱かせるほどだった。
あの激情的なヒョウガが自由を奪われて、今頃どんな気持ちでいるのか──彼の心中を想像するだけで、シュンの心は痛み、そして不安が募った。

「俺とシリュウがなんとかするから、気を強く持って待ってろよ」
「裁きの場にはヒョウガが立ち会わされるだろう。俺たちはどちらの扉が虎のいる部屋に続く扉ではないのかを調べて、ヒョウガに知らせておく。おまえはヒョウガが合図した方の扉を選べ」

「セイヤ……シリュウ……」
セイヤとシリュウは、誰にも祝福されない恋に身を焼いている反逆者の命を本気で救うつもりでいるらしい。
シュンは、だが、彼等の友情を単純に喜んでしまうことができなかった。

「ヒョウガが……僕の裁きに立ち会わされるの?」
「陛下は、おまえが死ぬところか、おまえが他の男の手に渡るところをヒョウガに見せたいだろうからな。ヒョウガは嫌でも裁きに立ち会わされるだろう。そこは安心していていい」

シリュウは、シュンが心配しているのは、間違いなく彼に合図のできる人間が裁きに立ち会うことができるかどうかの確実性──と考えているようだった。
実際にシュンが懸念していたのは決してそんなことではなかったのだが──反逆罪で捕らえられている友人のために、我が身の危険も顧みずに奔走してくれている二人に余計な心配をかけないために、シュンは無理にセイヤたちに微笑を作ってみせた。






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