氷河の溜め息──は珍しい見世物だが、恋する者の洩らす溜め息はこの世にあふれ、また ありふれている。
故にそれが珍奇なものなのか、あるいは凡俗なものなのかを、紫龍は判断しかねた。
ともあれ瞬の姿の消えたラウンジで溜め息をひとつついた氷河に、紫龍は尋ねたのである。
「どうした。白銀聖闘士にでもなりたくなったか」
「そこまで馬鹿じゃない。──が」

氷河の溜め息が無力感のせいだということ、彼がそういう心境に至った理由と原因――を、紫龍は見透かしている顔である。
今は見えを張り強がる気力も 体裁を取り繕う意欲も持ち合わせていなかった氷河は、紫龍の推察をあえて否定する気にもならなかった。

「まあ、瞬に助けられる側じゃなく、瞬を助ける側の人間になりたい、とは思うな」
珍しく素直で正直な氷河に、紫龍が少しく肩をすくめる。
それから彼は、苦悩する仲間のために、冗談なのか真面目なのか判断に苦しむようなアイデアを提示した。

「沙織さんに白馬でも貸してもらったらどうだ。見てくれだけなら王子様で通るだろう。それで瞬の前に出てみる」
「かぼちゃパンツやコッドピースつきのタイツを穿いてか。瞬に白い目で見られるのはごめんだ」
「瞬を笑わすことはできるだろう。瞬はおそらくこれから幾度も──理想と現実の乖離が生むジレンマに傷付くことになるだろうから──道化役に徹するのも瞬を力づける方法のひとつだぞ」

提案者に意見を述べないことで、氷河は紫龍のその提案を退けた。
それは問題の根本的な解決にはならないし、氷河の好みの状況でもなかった。

「ペルセウス、か……」
ある日突然、翼のある馬にまたがり、アンドロメダ姫の前に颯爽と現れ、絶望と宿命の鎖から王女を解き放ち、命と自由を与え、その代わりにアンドロメダの愛を得た男。
それは、なりたいと思ってなれるものではないのだろう。
そうなるためには、尋常ではない力と強さと、そして、幸運が必要であるに違いない。

だが、氷河はなりたかったのである。
瞬に、輝く生気と希望を与えられる力を持った男に。
それだけの力を今の自分が有していないことは、いやになるほどわかっていたのだが。






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