それから一ヶ月後、瞬と氷河は偶然、あの老婦人に再会した。
平日の大きな雑貨店のグリーティングカード売り場で。
鉄紺色の小袖を身に着けた老婦人は、おそらくは孫のためのバースディカード──を選んでいるらしい。
彼女は相変わらず姿勢がよく、瞬と氷河は、その和服の女性があの時の老婦人だと遠目にもすぐにわかった。

彼女に話しかけていっていいものかどうかを、瞬は迷ったのである。
瞬が決意できずにいるうちに、老婦人の方が先に瞬たちの姿に気付く。
彼女は瞬たちに涼しげな声で『こんにちは』という挨拶を投げかけてから、目許に小さな微笑を浮かべた。
「今日もご一緒? 本当に仲がよろしいのね」

言われて、今更ながらに瞬は気付いた。
ご多分に洩れず、この老婦人も瞬を少女だと思っている。
訂正するのもはばかられ、瞬は誤解を誤解のままにしておくことにした。
そんなことよりも──瞬にはもっとずっと気掛かりなことがあったのだ。

「あの……あのあと、タケルくんは──」
「ひどく泣かれまして、難儀いたしました」
瞬の気掛かりを察した老婦人が、一度だけ非常にゆっくりした瞬きをして、瞬の知りたいことを教えてくれた。

「そうですか……。すみません……」
声が、我知らず沈んだものになる。
瞬は、自分には何もできないことがもどかしく、やるせなかった。
あの少年はまだ幼い。
自分の意思で幸福になることを要求すること自体が残酷に思えるほど――彼はまだ幼いのだ。

「瞬さんが謝ることじゃありませんよ」
瞬を思い遣る老婦人の声はやわらかく穏やかで、そして絶望していなかった。
「ママとパパはもう帰ってこないのだと言いきかせました。母親の代わりに抱きしめてやって――私にはそれしかできませんしね」

――生きている者にはそれしかできない。
それは、瞬が氷河に対していつも味わうジレンマだった。
そうできることは幸福なことなのだろうが、それしかできないことは、やはりつらい。
この婦人はそういうジレンマに悩むことはないのだろうか――?
瞬は、彼女の眼差しが涼やかなので──あまりに翳りがなく意思的なので──逆に哀しい気持ちになった。

そんな瞬の様子を認めた老婦人の毅然とした眼差しが、瞬をいたわるものに変わる。
「あの子はちゃんとわかってくれましたよ。あの子は強い子ですから。私の息子と嫁の子です」
「…………」

息子を失った母親と、母親を失った息子と――比べることは無意味であるに違いないのだが――そのどちらがよりつらいものなのだろうか。
それでも凛とした態度を崩さない母親の強さに、瞬の弱い涙腺はあっという間に負けてしまった。

氷河が慌てて瞬を自分の胸に抱き寄せ、瞬の涙を隠す。
それから氷河は、何事もなかったふうを装って、にこやかに老婦人に告げた。
「その上、あなたのお孫さんですから」

氷河のその言葉に、老婦人は花が零れるように微笑した。
瞬の涙に気付かぬ振りをして、誇らしげに頷く。
「瞬さんに優しくしてあげてくださいね」
というのが、別れ際の彼女の言葉だった。






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