――その悪夢が3晩続いた。
目覚めれば 生きている氷河の姿を確かめることができるとはいえ、連夜の悪夢は、瞬の気持ちを日毎に沈鬱なものにしていく。
それは徐々に漠然とした不安に変わり、やがて瞬は、その悪夢を良くないことの起こる前兆なのではないかと疑うようになったのである。

瞬はことあるごとに、氷河に、
「何か変わったことはない? 体調はいい?」
と確認するようになり、沙織にも幾度も新しい闘いが始まる気配はないのかと尋ねた。
そのたびに瞬は、氷河からも沙織からも、自らの不安を否定する答えを得ることができたのだが、そんなことで瞬の気持ちが晴れることもなかった。

氷河の身が心配で目を離せない。
氷河が1人でどこかに出掛けるのも恐くて、そのたびに瞬は無理を言って彼に同道させてもらった。
できることなら片時も氷河の側から離れずにいて、彼の身に何事かが降りかかってきた時には、その災厄から氷河を守りたいという強迫観念にも似た思いが、瞬の中では日を追うごとに強まっていた。

星矢と紫龍は瞬のそんな様子を訝りつつ、だが、あえて止めることもせずにいたのである。
夢のせいなのか何のせいなのか、その原因はともかくも、瞬はそうせずにいられないからそうしているのだろうし、当の氷河には、その状況は迷惑どころか喜ばしいことであるに違いない。
いっそこのまま なし崩し的に二人がくっついてしまえばいいのではないか――などと、無責任かつノンキなことを、彼等は考えていたのである。

が、瞬が氷河につきまとい始めて3日目の夕刻。
星矢と紫龍は、そんな無責任かつノンキなことを、無責任かつノンキに考えていられない事態に直面することになってしまったのである。
不安が高じたらしい瞬が突然、氷河に向かって、
「あの……氷河、今夜、一緒に眠っちゃだめ?」
――などという、危険極まりないことを言い出したせいで。
星矢と紫龍は、それまでの無責任かつノンキな考えを明後日の方に吹き飛ばして、仰天した。

「瞬、おまえ急に――いや、ここんとこずっと様子がおかしかったけど、おまえ、なんでそんな自分からオオカミの腹ん中に飛び込んでくみたいなこと 言い出したんだよっ!」
「え?」
氷河の正体がオオカミだということを知らない瞬が、まるで咎めるような星矢のがなり声にきょとんとする。

紫龍は、取り乱している星矢を制止し、違う言葉を用いて、瞬の突拍子のない提案の訳を問い質しにかかった。
瞬に氷河の正体を明かすのは やはり氷河自身であるべきだと、彼は考えていたのである。
「おまえはどうして急に、そんな子供のようなことを言い出したんだ? おまえ、まだ、子供が泣いている夢を見続けているのか?」

紫龍の、無難と言えば無難、詭弁と言えば詭弁にもとれる言葉の選択に、星矢は一言物言いをつけたかった。
が、それは、何事も開けっぴろげで 良い意味で無神経な星矢にも、言葉にしにくいことではあったのである。
『氷河は、どうすれば おまえを裸にひん剥いて その脚を開かせられるのか、そんなことばかり考えている危険極まりないオトコなんだぞ!』とは、いくら星矢でも瞬には言いにくい。
しかし、その事実を知らせずにいると、瞬は本当に我が身をオオカミの食卓に捧げかねない。
星矢は、いかんともし難いジレンマに陥ってしまったのである。

瞬はといえば、星矢のそんなジレンマに気付いた様子もなく、己れの不安にだけ心を傾けている。
「嫌な夢を見るんだ」
「嫌な夢?」
紫龍に同じ言葉で問い返された瞬は、自分の横にいる氷河の表情を気にしながら、小さな声で告げた。
「氷河が死ぬ夢……。もう3晩も続けて見てるんだ。一人だとまたあの夢を見ちゃいそうで、恐くて、氷河の側にいないと、僕のいないとこで氷河が死んじゃいそうで、僕……」

瞬はやはり、未だに悪夢に囚われているらしい。
その事実を知らされた星矢と紫龍は顔を見合わせるなり、ほとんど同時に口を開いていた。
「一人で眠るのが恐いなら、俺が一緒に寝てやろう」
「俺俺! 俺なら安全だぜ、瞬!」
二人の提案は、瞬の貞操の無事を願う人間としては、実に自然なものだったろう。
しかし、瞬は、その自然な提案を遠慮がちに辞退した。

「……僕は氷河がいい……。氷河の側にいたい。だめかな?」
「俺は構わないが」
喜色を見せないのは当然としても、慌てた様子ひとつなく平然とした口調で瞬にそう答える氷河に、星矢と紫龍は かえって胡散臭いものを感じることになったのである。

紫龍は氷河の腕を掴みあげて、瞬に聞こえないように念を押した。
「氷河、貴様は紳士だな? 瞬の弱気に乗じて、不届きな真似はせんだろうな」
「あたりまえだ」
氷河は即答したが、無論、それを簡単に信じるほど紫龍も星矢も純朴にはできていない。
が、氷河がそう言い、瞬がそれを望んでいるのだから、第三者がそれを禁ずるわけにもいかない。
不信感でいっぱいの星矢と紫龍の前で、結局 瞬は、その夜氷河と同じベッドで眠ることを決めてしまったのだった。



瞬はその夜、氷河のベッドで あの不吉な夢を見ることはなかった。
それが一人ではないからなのか、氷河が側にいる安心感のためなのか、あるいは単なる偶然なのか――その理由は瞬にはどうでもいいことだった。
とにかく瞬は、氷河の隣りで、あの悲しく苦しい夢を見ずに済んだのである。
瞬にとって重要なのは、その事実だけだった。






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