「瞬が泣いている子供の夢のせいで俺を気に掛けてくれるようになって――俺はこの手は使えると思ったんだ」
「使える――つったって、瞬に夢を見させられなきゃどうにもならないじゃないか。おまえ、幻魔拳や幻朧魔皇拳みたいな精神攻撃の技は使えないだろ」

星矢の疑念は至極尤もだった。
氷河に使用可能な技は、派手で目立ち、使えるようになるには高度な技術を要するが、その割りに攻撃力にはいささか疑問が残る冷却系の技だけである。
見た目は地味ながら敵に確実なダメージを与えることのできる精神攻撃系の技に、氷河は縁もゆかりもない。
氷河にできる精神攻撃は、せいぜいバトルの最中に突然 突拍子もないダンスを披露して、相手を脱力させるくらいのものなのだ。
そして、事実、氷河が瞬に対して使ったのは、聖闘士の小宇宙を用いた攻撃技ではなかった。

二人の仲間に詰め寄られて、氷河は自らの悪事を白状しないわけにはいかなかった。
もはや進退はきわまっている。
瞬に軽蔑され嫌われるという地獄以上の地獄から逃れるためになら、氷河は、閻魔王庁の閻魔大王に犯していない罪を言上するくらいのことはしていただろう。

「――つまり俺は、瞬の夢の話を聞いて、半世紀も前にアメリカで流行った夢の操作法を思い出したんだ」
「夢の操作法?」
紫龍は思い当たるところがあったのか合点のいった顔になったが、星矢は、夢を操作する方法があるということからして初耳だった。
そんな星矢に、氷河が、自分の用いた技の説明を始める。

「マレーシアに、セノイという夢を操る民族がいるんだ。彼等は夢と現実を全く同じ比重で扱っていて、夢の示唆に従って現実の生活を営んでいると言われていた。その民族には、自分の見たい夢を見ることができる夢見の秘法というのがあって――」

人類学者キルトン・スチュアートがセノイ族の調査を行ない、そのレポートを公表したのは1960年代のことである。
夢に従い夢を操って 争いも犯罪もない社会を築くセノイ族について記されたそのレポートは、実現可能なユートピア論としてアメリカで一大センセーションを引き起こした。

「無論、現在ではそんな夢見の技法の存在は否定されている。が、まあ、ものは試しとその本を買ってきて、半信半疑で試してみたら――」
「瞬が本当に夢を見ちまったってのかよ?」
星矢の感嘆めいて巣頓狂な声に、何の反応も示さないことで、氷河はその事実を肯定した。

「まあ、瞬は聖闘士だし、第六感の上をいくセブンセンシズを有しているわけだからな。普通の人間よりは、そういうことに感応しやすくできているのかもしれない」
別に氷河を庇おうとしたわけでもないのだろうが、紫龍が補足説明めいた言葉を吐く。

氷河の自白と紫龍のその補足説明を受けて、星矢が出した結論は 極めて単純かつ明快なものだった。
すなわち、
「ほんとのこと言って謝るしかないじゃん。土下座してさ」
――である。

「言えないから困ってるんじゃないかっ!」
偉そうに反論できる立場にないはずの氷河が、星矢の出した結論に抗って大声を響かせる。
氷河はとにかく、本当のことを瞬に知られて、瞬に軽蔑され嫌われることだけは避けたかった。
氷河はただ、夢のせいで瞬の中に生まれた心配や同情の気持ちが恋に発展することを期待しただけだったのである。
そこに悪意や害意は全く存在していなかった。
存在していたのは、多少の打算と姑息だけだったのだ。――それが、この場合の大問題ではあったのだが。

「姑息なことするから……。自業自得ってやつだろ、それ」
そんな氷河に対する星矢の態度は、実にクールだった。
これがクールでなくて何がクールかと言いたくなるほどにクールだった。
所詮“名ばかりクール”の氷河は、仲間のクールさに打ちのめされることになったのである。

そんな氷河にさすがに哀れをもよおしたのか、紫龍が、星矢よりは人情味のある打開策を提示してくる。
「おまえが死ぬ夢を、もう一度瞬に見せてみるというのはどうだ? 二人で寝てる時に。そうすれば瞬も、おまえと一緒に寝ても悪夢から逃げることはできないのだと悟るだろう」

せっかくの紫龍の提案は、しかし、切羽詰った氷河によって、言下に却下された。
「これ以上、ただの一度でも瞬と一緒に寝たら、俺は紳士じゃなくなるっ!」

それは氷河の心からの嘘偽りのない悲鳴だった。
だが、窮地に立つ氷河に向けられる星矢の視線と言葉は、あくまでもどこまでもクールである。
「もう紳士じゃなくなってるんじゃないのか」
「下種の勘繰りはやめろ! 俺はぎりぎりのところで踏ん張ったんだ! だが、夕べは本当に……すんでのところで、瞬にのしかかりそうになった。俺は――俺は紳士でいたいんだ。瞬に対してだけは――」

「すげー卑怯者の紳士だな」
氷河の苦渋に満ちた呻きに、星矢の態度はますます軽蔑の色を濃くする。
それから星矢がふと思いついたように口にしたアイデアは、クールを飛び越えて超クールだった。
「じゃあさ、こういうのどーだ? 瞬をほんとにヤっちまって、それを夢だったと思い込ませんの」
「できるか〜〜っっ !!!! 」

氷河は、要するに、“クール”とは縁のない男なのである。
星矢の超クールな提案を、氷河は加減のない大声で遮り、却下し、峻拒し、抵抗した。

――そこに、お約束通り、瞬が登場する。






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