「あの夢……氷河が見させてたの」
自分の不安や懸念が全く意味のないことだった事実を知らされた瞬の声は、当然のことながら明るく弾んだものではなかった。
星矢や紫龍に罵倒され軽蔑されるのは平気な氷河の心臓に、瞬の落胆した声が、刺すような痛みを加えてくる。

「氷河が死んじゃう夢も、あの泣いてる子供の夢も……」
「いや、子供の夢は――」
氷河が姑息な悪巧みを思いついたのは、泣いている子供の夢の話を瞬に聞かされた後のことだった。
自らの卑劣の罪を認めることにはやぶさかではないが、事実以上の罪を背負うつもりもない氷河は、瞬の推察を否定しようとした。
――のだが。

瞬は、氷河がそうする前に、とんでもないことを言い出したのである。
「その前の、あの……氷河が僕に変なことする夢も……?」
「変なこと……とは?」
氷河は、瞬の言う『変なこと』に全く心当たりがなかった。
氷河が瞬に見せたのは、彼自身が死ぬ夢だけだったのである。

しかし、瞬はどうやら、泣いている子供の夢や氷河が死ぬ夢を見る以前にも、違う夢に悩まされ続けていたものらしい。
そして瞬は、その夢も氷河の仕業と思い込みかけている――ようだった。
「あの……氷河が僕の眠ってるとこに来て、僕は動けなくなってて、氷河がそんな僕に……あの……触ったり抱きしめたり、あの……えっちなことする夢」

「えっちなことする夢って、氷河っ、おまえ〜〜っ!」
瞬の告白に氷河が驚くより先に、星矢が氷河を怒鳴りつけてくる。
もし星矢が最後の審判を司る神だったなら、彼はたった今 問答無用で氷河の地獄堕ちを決定していたに違いなかった。

「お……俺はそれはしてないーっ!」
「でも、僕、ずっと前から氷河に……あの……いろんなことされて……夢の中だけど」
瞬が嘘をつくはずはなかった。
そもそもそんな嘘をついたところで、瞬に何の益があるでもない。
ゆえに、それは事実なのだろう。
その事実を、だが、瞬はひどく自信なさそうに頼りない口調で 氷河に告げた。

そんな瞬とは対照的に、何が事実で何が憶測なのかを判断する材料を持っていないはずの星矢の方は、しっかりきっぱり断言口調である。
「『これはしたけど、それはしてない』なんて言い逃れが通ると思ってんのか! おまえ以外の誰が瞬にそんな夢見せるんだよ! 最低だなっ! これで紳士がどーのこーのとよく言えたもんだ!」

「俺は本当にそんな卑劣なことはしとらんっ!」
だが、違う卑劣はしていたのである。
疑われても仕方のない立場に、氷河は立っていた。

氷河の弁解も弁明も、星矢や紫龍の耳には届くものではなかった。
「ああ、瞬。あっちに行こう。こんな奴の側にいるのは危険だ」
ついに、『仁義をもって尊しと為す』の紫龍までがクールに転じ、瞬を氷河から遠ざけようとする。
氷河は、自らの卑劣のせいで、恋も仲間も失いかけていた。

「本当に俺は――」
だが、それは本当に完全な濡れ衣だったのである。
氷河は瞬をその気にさせる行為だけは、怪しい秘法などに頼らず、自分の手で行ないたいと思っていた。
そうでなければつまら・・・ない・・ではないか。

この苦境を逃れるにはどうしたらいいのか――数秒間で普段の3日分ほどの思案を重ねた氷河は、そして、幸運にも この濡れ衣を晴らす有効な手段を思いついたのである。
黄金聖闘士と拳を交えていた時にもこれほど素早く動いたことはないと断言できるほどのスピードで、彼は自室に一冊の本を取りにいき、仲間たちの前に戻ってきた。
『夢の秘法―セノイの夢理論とユートピア』と題されたその本の最終ページには、氷河がその書籍を購入した書店で受け取ったレシートが挟まれていた――。

「これを見ろ。レシートの日付が6日前になっているだろう。俺がこの本を買ったのは、瞬が泣いてる子供の夢を見た翌日の夕方だ。瞬は、それ以降は俺が死ぬ夢だけを見ていたはずだ!」
名誉を懸けて必死の訴えを訴える氷河の顔と、レシートの日付を見比べながら、それでもなお疑わしげな表情で、星矢はとりあえず瞬に確認を入れた。
「おまえが見た氷河に変なことされる夢ってのは、この日付より前に見ていた夢なのか?」

「う……うん……」
瞬が、心許なげな様子で星矢に頷く。
客観的な証拠物件を提出された上に、瞬の証言までが得られてしまっては、さすがの星矢も氷河の言葉を信じないわけにはいかなかった。

「じゃあ、瞬が見た助平な夢ってのは、瞬が自発的に見た夢ってことか? それって、瞬の願望ってやつ?」
「え……?」
夢は自分の意思で操作できるものではない。
ゆえに、瞬は自発的に夢を見ることはできない。
『自発的』という表現には語弊があったが、しかし、他律的でなく受動的でないという意味において、確かにそれは瞬が外部からの影響を受けずに見た夢だということができた。

「やだっ!」
星矢の確認の言葉の意味を解した瞬が、頬を真っ赤に染める。

自分の濡れ衣を晴らすために 瞬に要らぬ告白を強いてしまったことに氷河が気付いたのは、頬どころか耳朶までを真っ赤に染めた瞬が、仲間たちの前から逃げ去ってしまったあとのことだった。






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