瞬の部屋のドアの前で、そのドアを開けることを氷河は瞬時ためらった。 卑劣な男のせいで かかなくていい恥をかかされたと瞬は怒っているかもしれない――という考えが胸中に浮かび、すぐに消えていく。 瞬がそういう人間性の持ち主だったなら、瞬を好きになった男はどれほど楽でいられたことだろう。 だが、実際には瞬は自罰的傾向のある人間である。 瞬は、自分に変な夢を見させた男を責めることなど思いもよらず、自分だけを責め、自己嫌悪に陥っているに違いない。 どれほど気まずくても、氷河はその部屋のドアを開けないわけにはいかなかった。 ――そろそろ夕方と言っていい時刻になりかけているというのに、瞬の部屋の照明にはスイッチが入っておらず、瞬は部屋の中央に置かれた二人掛けのソファの端に 身体を丸めるようにして座っていた。 「瞬、すまん。俺はその――おまえが好きで、俺のものに……いや」 とにかく非はすべて自分にあり、瞬は何も悪いことをしていないのだという事実を瞬に受け入れさせなければならない。 前置きの言葉もなく、氷河は瞬への謝罪にとりかかった。 「その、特別に親しくなりたいと思っただけなんだ。そのきっかけを作りたいと――」 言葉を選び直しての氷河の謝罪は、しかし、あまり有効ではなかった。 瞬は、氷河のしでかした卑劣のことなどすっかり忘れ、自己嫌悪することに夢中らしい。 氷河を責める言葉も 許す言葉も口にせず、自分の前に立つ男を上目使いに見あげた瞬が氷河に告げた言葉は、 「氷河、僕のこと軽蔑してるんでしょ」 ――だった。 「なぜだ」 「だって……あんな夢、じ……自発的に見てたって……」 その上、瞬は、星矢に、その夢を瞬自身の願望とまで言われてしまったのである。 星矢にそう言われるだけならまだしも、その言葉を氷河に聞かれてしまったのだ。 ――実のところ、瞬も、その夢を自らの潜在意識下の願望夢なのではないかと疑ったことがないでもなかった――疑ったことがあった。 しかし、それは――それこそ“変なこと”である。 そんな夢に登場させられる氷河に、瞬はずっと罪悪感を抱いていた。 だから瞬は、自分の夢が氷河に操られていたという話を聞いた時には、むしろ安堵の思いをさえ覚えたのである。 その夢が、自分の外部から加えられた力によって見せられていたものだったとしたら、自分は“変”ではなく、氷河に対して罪悪感を抱く必要もなくなる。 長い間悩まされていたことから ついに解放されたと、瞬は氷河の告解を喜びさえしたのだ。 だからこそ、それはやはり自分の内から出たものだったと知らされた時の瞬の落胆は大きかった。 あまつさえ瞬は、その夢の内容を自ら氷河に知らせてしまうという愚を犯してしまったのだ。 「ご……ごめんなさい、氷河。でも、僕、どうして自分があんな夢見てたのか 自分でもよくわかんなくて――」 「俺は――」 氷河はもちろん、それが瞬の願望の表われであってくれればいいと思っていた。 瞬にはそれは自己嫌悪を誘う夢でしかないのかもしれないが、氷河にはそれは望ましく好ましい歓迎すべき夢だったのである。 「俺はそんな夢、毎晩見ている。そんなことでおまえをいちいち軽蔑していたら、俺自身はおまえにその100倍軽蔑されても仕方がない」 「え……」 氷河の言葉に、瞬が驚いたように顔をあげる。 それから瞬は、氷河のその言葉が作られたものではないのかどうかを確かめるように、氷河の瞳を見上げ、見詰めた。 「夢の中で氷河は……あの……ちょ……ちょっといろんなことするんだけど、でも……それでも氷河は優しかったよ」 人が自分を“変”だと思うのは、自分だけが 自分だけが 「僕、嫌じゃなかった。恥ずかしかったけど」 瞬は、氷河に“事実”を告げた。 「なら、それは本当にただの夢だ。俺はきっと優しくなんかできない」 『おまえの夢の通りに優しくしてやる』とでも言えばいいものを――と、氷河は思っていた。 自分の無粋と不器用と不要な正直に、氷河は内心で舌打ちをしていた。 だが、羞恥の気持ちを乗り越えて必死に“事実”を告げようとしている瞬に、飾った虚偽で応えることはできない。 氷河にそんなことができるはずがなかった。 「…………」 氷河の、無粋で 不器用で 不要に正直な言葉に返す言葉を見付けられなかったのか、瞬は口を閉ざした。 ソファの端に身体を丸めるようにして座っている瞬と、その瞬に向かい合って立つ氷河の間に 沈黙が生まれる。 長い長い沈黙のあとで、瞬が氷河に告げた言葉は、 「試してみよっか……」 ――だった。 |