「おはよう、氷河」
氷河の肩越しに降ってきた瞬の声は、極めて平和なものだった。
まるで 今朝と昨日とで 世界は何ひとつ変わっていないと言わんばかりに。

「お……はよう」
なぜ瞬が現状に驚き慌てないのか 合点はいかなかったのだが、瞬に取り乱されて説明や弁明を求められるよりはましである。
氷河は努めて抑えた声で朝の挨拶を返した。

「今日いい天気みたいだね」
「そうだな」
昨日は一日中雨降りだった。
天候だけでなく、瞬の瞳も。
瞬はつい昨日のことを忘れてしまったのかと訝る前に、氷河は瞬に相槌を打っていた。
裸の瞬が自分のベッドにいること以上の不思議が この世にあるはずがない。
そして、その不思議の訳が氷河にはわからないのだ。
些細な事実誤認など気にかけるほどの問題ではなかった。

「今日、どこかに出掛ける?」
まるで予定のない晴れた休日の計画を話し合う恋人たちの片割れのようにそう言うと、瞬は氷河の隣りで身体の向きを変え、ベッドの脇のカーテンに手を伸ばして部屋に射し込む光の帯の幅を広げた。

朝の陽光のため――というより、目の前に現れた瞬の白い背中のせいで、氷河は目がくらんだ。
無造作にそんなものを、ただの戦友の前にさらす瞬の神経が信じられない。
そして、それ以上に、到底男のものとは思えない瞬の肌の白さが、氷河には信じられなかった。

これがただのリアルな夢だったなら、氷河は即座に瞬の上に覆いかぶさり、その白い背中に唇を押し当てていたことだろう――。
そう思わずにいられないほど誘惑的な瞬の背中に見入っていた氷河は、その時になって初めて気付いたのである。
全裸でいるのは瞬だけではない――ということに。
これはもはや、口許をゆるませて 瞬の背中を鑑賞していていい事態ではない。
氷河は、このありえない現実の訳を知らなければならなかった。

「瞬、おまえ、なぜここにいるんだ」
内心の混乱と、それ以上に 瞬に欲情しかけている自分自身を気取られぬように注意しながら、氷河は無理に抑えた声で瞬に尋ねた。

「氷河、なに言ってるの?」
再度氷河の方に向き直った瞬が、怪訝そうな目をして氷河に反問してくる。
「おまえがここにいる訳を説明しろと言って――いや、説明してくれと言っている」

瞬には言えないような夢の中でのことならともかく、現実では、全裸の瞬などここに存在しているはずのないものである。
こんな朝を夢見たことはあっても、現実に体験したことは、氷河はかつて一度もない。
特に今朝は、こんなことが起こるはずのない朝だった。

しかし、瞬にはそうではなかったらしい。
「いちゃいけないの」
瞬は、少し不満そうな顔をして、氷河に再び問うてきた。
氷河の脇のシーツの上に両肘をついて。
――今度は瞬の胸が、氷河の視界に入ってくる。

「い……いけないわけではない、が」
「が?」
「――いけなくはない」
「うん。なに わかりきったこと言ってるの」
そう言って頷いてから、瞬は氷河に重ねて告げた。
「氷河、今朝は変だよ」

変なのはどっちだ! ――と、いっそ氷河は瞬を怒鳴りつけてしまいたかったのである。
だが氷河がそうするより先に瞬の方が、まるで探るような目を氷河に向けてきた。
「氷河、夕べのこと憶えてる?」
「……もちろんだ」

忘れるはずがないではないか。
だからこそ氷河はこの現状に、今日でない日の3割増しで驚いているのだ。
夕べ氷河は、ひどい言葉を投げつけて瞬を泣かせたばかりだった。
だというのに、
「ほんとに憶えてる?」
と、念を押してくる瞬は、すっかり昨夜のことを忘れている。――ように見えた。

「あ……あたりまえだ」
戸惑いつつ頷いた氷河に、瞬は、そして とんでもないことを求めてきたのである。
「じゃあ、僕たちが夕べどんなふうに過ごしたか、氷河、順を追って言ってみて」
「なに?」

「僕が昇り詰めかけるたびに僕から離れて、僕がどんなに頼んでも最後までいかせてくれなくて、氷河がどれだけ僕に意地悪して、どれだけ僕を泣かせたのか、この唇で――」
瞬の右手の人差し指が氷河の唇に触れる。
「正直に白状しなさい」
氷河は身体を硬直させた。

「ね。氷河が夕べどんなに情熱的だったか、僕に思い出させて」
そんな氷河とは対照的にやわらかな瞬の腕と指とが、まるで蔦の蔓が絡みつくように氷河の胸に伸びてくる。

「悪ふざけもいい加減にしろっ!」
それは、聖闘士稼業よりも長く 男という商売を続けてきた氷河の直感だった。
これ以上瞬と同じベッドの中にいたら、自分は 飢えて見境のなくなった雄オオカミになってしまうという確信を、氷河は抱いた。
だから、氷河は、ほとんど飛び跳ねるようにして瞬のいるベッドから抜け出したのである。
必然的に、全裸で。

そんな氷河を見て、それまでひたすら積極的に氷河に絡んでいた瞬が初めて、恥ずかしそうに頬を赤らめる。
「やだ、氷河ってば朝からそんな……。夕べ、あんなにしたのに」

(いったい俺が何をしたっていうんだーっっ !! )
瞬が自分の何を見て そんなことを言ったのか、氷河は考えたくもなかった。






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