「まあ、なにしろこの美貌だろう。こんな壺に閉じ込められるまでは、俺は女にモテまくりだった」 ――それが、数千年前、氷河がこの壺に封じられることになった直接の原因なのだそうだった。 「だが、当然、俺は、その女たち全員の相手をしてやることはできない。俺は一人しかいないわけだし、何より好みというものがある。で、俺が袖にした女たちの中に、女神アテナを信奉している女がいて、その女が、俺に罰を与えるようにアテナに願い出たんだ。アテナはその願いを聞き入れて、俺をこの壺に封じ込めた。俺をこの壺から呼び出した者への無料奉仕義務付きでな」 その上、彼を壺から呼び出すための条件が、アラジンのランプ風に壺を擦るとか、ハク○ョン大魔王風にくしゃみをするというのならまだしも、『バナナの皮ですべって転ぶ』である。 「200年振りだ、この壺のあるところでそんな間抜けなことをしでかしてくれた奴は」 氷河が星矢の快挙に感謝しているのか、あるいは馬鹿にしているのかは、何とも判断しづらいところではあったのだが、彼がアテナの裁定を理不尽と思っていることだけは、星矢にも瞬にも感じ取ることができた。 そして、もちろん二人は、東南アジア原産のバナナが、いつ頃世界のどの地域に伝播していったのか――などという些細なことに思いを至らせることはしなかったのである。 「アテナの呪いを解くことはできないの?」 ブランコの吊りチェーンを掴んでいる氷河の顔を見上げながら、瞬が問う。 事情説明を聞かされた星矢の中では、再び氷河への不信感が頭をもたげ始めていたのだが、瞬は、氷河の不幸の原因となった事柄を思い切り好意的に解釈したらしく、彼の氷河に対する同情心は全く損なわれることがなかったらしい。 「できないことはないが」 「どうすればいいの?」 「俺が100人の女に振られれば、解けることになってる」 「……え?」 それは、瞬にとっては非常に思いがけない答えだった。 氷河が口にした呪い解除の方法は、メルヘンを信じている瞬のメルヘン的一般常識から大きくかけ離れたものだったのだ。 「真実の愛が呪いを解くんじゃないの? 普通、そうでしょう?」 「なにしろ、俺がアテナの怒りを買った理由が理由だったからな」 言われてみれば、その通りである。 メルヘン的思考の持ち主である瞬は、大抵のメルヘンがその暗部に潜ませている単純な冷酷さを自分の内に呼び起こし、その解除方法を受け入れた。 「あと何人?」 「だから100人」 「壺に閉じ込められてから、一度も女の人に振られたことがないの? 4000年もあったんでしょう?」 「この俺が女に振られるなんてことが、そうそうあってたま――」 理不尽な理由で、その一生を青銅の壺に縛りつけられることになってしまった男の身を案じて、瞬は、真剣この上ない眼差しを氷河に注いでいる。 その眼差しの中で、氷河はなぜか、事実を瞬に告げることはしたくないと思ってしまったのだった。 「いや……その4000年の間、俺はほとんど外に出る機会に恵まれなかったんだ。バナナの皮ですべって転ぶような阿呆なんて、滅多にいるものじゃないだろう?」 それは決して嘘ではなかった。 氷河が壺の外に出る機会に恵まれたのは、4000年の間に僅かに20回ほど。 だが、そうして氷河をアテナの壺から呼び出した者たちは、氷河を酷使し続けるのが常だった。 何十年間も氷河を危地に送り続けた軍人もいた。 前回氷河を呼び出した日本人も、氷河を10年近くの間、北方の測量探検に付き合わせてくれた。 氷河が4000年の時間を青銅の壺に縛りつけられていたのは事実だったが、彼が普通の人間の人生の10倍以上の時間を壺の外で過ごしたのもまた、厳然たる事実だったのである。 正直、こんなのんびりした呼び出しは、氷河には初めてのことだった。 『義を見て せざるは勇無きなり』と、星矢が思ったのかどうかはわからない。 それは氷河にも瞬にもわからなかったが、二人のやりとりを脇で聞いていた星矢が突然、 「よし、じゃあ、振られに行こうぜ!」 と、星の子学園の庭に大声を響かせたのは事実だった。 「ど……どうやって?」 「こいつが、その変な格好で、街を歩いてるねーちゃんたちに声をかければ、みんな気持ち悪がって逃げてくだろ」 自信満々で断言し、星矢は改めて氷河の格好を確認した。 アラビア風のパンツにも似た古びた野袴は、和風の作業着と言うべきものである。 それはどう見ても現代的スタイリッシュという概念からは遠く隔たったところに存在するもので、氷河の服装が野暮ったいというその一事が、星矢の自信の根拠だった。 何はともあれ、そういうわけで、『街を歩いている人間の中から無作為に100人の女性を選び、ナンパを仕掛けろ』という“ご主人様”の命令を遂行するために、氷河は休日の繁華街に繰り出すことになったのである。 本音を言えば、氷河は全く乗り気ではなかった。 が、星矢に背中を押されて仕方なく、彼はちょうど地下鉄の出入り口から出てきた20歳前後女性を掴まえ、 「そこの君、俺に昼飯を奢る気はないか」 と、声をかけた。 |