「100人に声をかけて、100人ともが、こんな変な男にほいほいついてこようとするなんて、世の中 どーなってんだよ! 日本の未来はどうなるんだ!」

10代から6、70代まで、年代を問わずに氷河が声をかけた女性はかっきり100人。
星矢の当初の予定では、氷河がターゲットに声をかけて振られるまで30秒弱。
1時間もあれば終わるはずだったその作業に8時間以上の時間がかかったのは、つまりそういうことだった。
星矢たちは、氷河のナンパに引っかかった女性陣から逃げるために、想定外の時間をとられることになってしまったのである。
それだけ苦労して成果は0。
星矢の雄叫びが悲鳴に酷似しているのは当然のことだった。

「でも、わかる気がする。氷河の目は、見てると吸い込まれそうな気分になるくらい、とっても綺麗だもの。僕だって一緒にケーキ食べたくなるよ」
落胆している星矢と落胆しているはずの氷河を慰め励ますために、瞬が言う。

実は氷河は、自分が女性に袖にされる可能性など最初から全く考えていなかったので、特に落胆もしていなかったのだが、それはともかく、そんな可愛いことを言ってくれる瞬の瞳に吸い込まれそうな気分になったのは、氷河の方だった。
そんな自分に戸惑い、慌てて瞬の上から視線を逸らす。
瞬は、氷河のその所作を、徒労からくる落胆ゆえのものと解釈し、ますます深い同情の思いを込めて、氷河を見詰めることになった。

そんな二人の複雑かつ繊細なやりとりに気付く星矢ではない。
その場で唯一心底から落胆していた星矢は、
「なんか、めちゃくちゃ疲れた。おい、氷河。おまえもう壺の中に戻っていいぞ」
と、かなり投げやりな口調で氷河に告げた。

それは、“ご主人様”と下僕の主従関係の解消を意味する、氷河にとっては有難い宣告のはずだった。
しかし、今ばかりは氷河もその言葉を喜ぶことができなかったのである。
これでまた200年も壺の中に押し込められていなければならないのかと思うと、氷河はたまらなかった。
そして、これまでの数千年間、一度たりとも そんなことを考えたことなかった自分が、そういう気持ちになっていることを、彼は実に奇妙なことだと思ったのである。

――壺の中にいれば、氷河には何の義務も責任も課せられない。
人間の見苦しい貪欲や怠惰も見ずに済む。
これまでの数千年間、青銅の壺は氷河にとって居心地のいい母の胎内のようなものだったのだ。

なぜ自分がそんなことを言うのか理解できぬまま、しかし、氷河はその言葉を口にしてしまっていた。
「瞬、俺はまた君に会いたい――」
「え……?」

その奇天烈な格好にも関わらず、100人の女性がほいほいと氷河についてこようとした訳。
氷河の青い瞳に見詰められて、瞬は彼女たちの気持ちが初めて本当に理解できた――ような気がした。
どぎまぎしながら、その瞼を伏せる。
「で……でも、僕、バナナの皮ですべって転ぶなんて、そんなこと――食べ物の残りを捨てるなんて行儀悪いし――」
「確かに。そんな馬鹿なことで、瞬が怪我をしたら大変だ」
そう言って瞬が伏し目がちに、そう言って氷河が無言の圧力をかけるように――視線を向けた相手は、もちろん星矢だった。

視線の集中砲火を浴びた星矢が仕方なく、少々やけ気味の声を響かせる。
「わかったよ! 俺が明日、もう一度転んでやる。その代わり、バナナは瞬が持ってこいよ!」
「ありがとう、星矢!」

瞬が歓喜の声をあげて幼馴染みの首にしがみついてくる訳と、自分の要望が容れられて上機嫌でいていいはずの氷河が、そんな二人の様子を見て、瞳の色を不愉快そうな灰青色に変えた訳を、鈍感な星矢は、その時点で全く理解していなかった。






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