翌日の昼休み、いつものカフェテラスでエリスたちがオーダーしたのは飲み物だけだった。
きゃあきゃあ騒ぎながら、瞬が持ってきた弁当を平らげていく3人の横で、氷河は不可解な思いを味わっていた。

瞬はもちろん、氷河の分も弁当を作ってきていた。
氷河は興味半分で、それに口をつけてみたのである。
確かにそれは不味くはなかった。
例の前衛芸術作品も、その形状と印象は昨日の弁当同様 衝撃的ではあったが、不味くはない。
しかし、それが高級料亭の味を知り尽くした人間の舌を満足させる味かと問われれば、氷河は『否』と答えるしかなかったのだ。
ただ、それは、ひどく懐かしい味がした。


「お姉様に調べてもらったんだけど」
高級料亭の懐石膳を超える美味を食べ終えた3人は、至極満足そうだった。
フレアが、そんな仲間たちに、興味深いデザートを提供する。
「あの子の名前は、城戸瞬、15歳。信じられないことに高校生で、1年Bクラス。父親が外務省の局長を勤めたあと、ザンビアとエチオピアの駐在大使を歴任してて、あの子自身も小学校の途中から6年間ほどアフリカにいたらしいわ。感覚がちょっと変わってるのは、つい数ヶ月前に日本に戻ってきたばかりの帰国子女だからね」

フレアの提供するデザートに興味を持ったらしいエリスとナターシャが、テーブルの上に身を乗り出してくる。
「裕福とは言い難いけど、いい家のお坊ちゃんてとこかしら。お利巧さんよ。編入試験も、国語古典以外はほとんど満点に近い点を取ってる。運動能力もかなりのものみたい。先週、一年生の校内体力測定があったんだけど、その時に1万メートルを27分台で走ったとかで、先生方がパニックを起こして、測定会が中止になったんですって」

「1万メートルを27分台って、速いの?」
「馬鹿ね。速いに決まってるでしょ」
エリスの無知を笑ってから、フレアはすぐに肩をすくめた。
「と言っても、私も昨日まで知らなかったんだけど。日本記録が27分35.09なんですって。世界記録が26分台。高校の体育の授業で、非公式とはいえ、日本新を出したのよ。高校最高記録じゃないわよ、日本新」
「エチオピアって、そういえば陸上の国よね」
「国が貧しいから、自分の足で歩くしかない国よ。そこの外国人学校に長くいたそうだから」

それと弁当の美味との間には何の関連性も見い出せなかったが、瞬の瞳が澄んでいる訳だけは、ナターシャとエリスもわかったような気がした。
「それから」
そんな2人に、わざと声をひそめることで、フレアが注意を喚起する。
心持ち前かがみになった2人に、フレアは、ますます小さな声でその貴重な情報をもったいぶって告げた。
「これは断言してもいいけど、童貞ね」

「どんな極秘情報が出てくるのかと思ったら……そんなの、最初からわかってるわよ!」
「お弁当もいいけど、あの子自身も食べちゃいたいわよね〜」
「本気で食べちゃおっか〜」

軽い冗談とは言い難い様子で瞳を輝かせ始めた婚約者たちに、氷河はさすがに黙っていられなくなった。
「おい」
短いが鋭い口調で氷河にたしなめられて、フレアたちがわざとらしい誤魔化し笑いを作る。

「やーだ、冗談よ」
「そうそう。冗談冗談」
「本気なわけないでしょ」
口々にそう告げる3人を素直に信じるほど、氷河の瞳は澄んではいなかった。






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