翌週、それでも律儀に4人分の弁当を作ってくる瞬にも呆れたが、たちの悪いいたずらに罪悪感を抱いた様子もなく、その弁当に舌鼓を打ってみせる3人の少女たちに、氷河はいっそ感心してしまったのである。

氷河が彼女たちに会ったのは5年前。中学にあがって間もなく。
氷河の父親が、その正妻が亡くなったというので、それまで認知もせずに放っておいた息子を養護施設から引き取った時のことだった。

母が亡くなってからも数年間放っておいた息子を、彼が今更 認知して手元に引き取る気になったのは、子供のない正妻の病没のせいもあったが、氷河を自分の手駒として使えることに彼が気付いたせいのようでもあった。
『将来、この3人のどれか・・・を妻にして、企業に有利な人脈を作ることに貢献しろ』と、彼はまだ12、3歳の子供に過ぎなかった氷河に告げたのである。
それが、認知と養護施設からの引き取りの条件だと。

無論、それが口約束に過ぎず、一度認知したものを取り消すことは 認知をした当人にもできないことは氷河とて知っている。
氷河はそれで彼の財産の相続権を得たのだから、考えようによってはそれは氷河にとって有利すぎる交換条件ではあった。

だが、自分の勝手な都合で、しかも一方的に、息子の一生に関わる条件を押しつけてきた父親に、氷河は軽蔑の念を抱くことしかできなかったのである。
尊敬できない父親と、自分が彼の実子であることを 逆に利用してやろうと開き直って、氷河はその条件を飲んだ。

氷河に引き合わされた3人も、そのあたりは心得ているようだった。
生まれた瞬間から何不自由ない暮らしを当然のものとして享受してきた彼女たちは、初めて会った時から極端に我儘で、罪の意識なしに色々なことをしでかしてのける少女たちではあった。
が、悪乗りはするが馬鹿ではないし、経済的にはともかく心情的には氷河と似たような環境にある彼女たちと、親の身勝手を小馬鹿にしているという共犯者意識で結ばれて、4人はこれまでいつも一緒だったのだ。


その仲間の中の1人が、反省した様子もなく瞬の弁当を食べ終えてから、ふと思いついたように口を開いた。
「氷河があの子を助けに来るとは思わなかったわ」
その件に関しては、当の氷河自身が誰よりも、そんな自分を意外に思っていた。
自分がなぜそんなお節介をしてしまったのか、考えても考えても氷河にはわからなかった。

だが、彼の婚約者たちには、思うところがないでもなかったらしい。
いつになく真面目な顔をして――氷河に尋ねてきたのはナターシャだった。
「氷河、あの約束を守るつもり?」
「約束?」
「いつかは、私たちの中の1人を氷河のオクサンにするって話」

彼女が今更そんな話を持ち出してきた意図が、氷河にはわからなかった。
「さあ……。おまえたちも俺を好きなわけじゃないだろうし、俺たちは身勝手な親共を油断させ続けるゲームをしているようなものだしな」
「一緒にゲームを楽しもうと思えるほどには、私たち、氷河を好きよ。綺麗だし、馬鹿じゃないし、恋愛に興味なさそうなところが氷河のいちばんの美点ね」
「でも、一生に一度は私たちの中の1人にプロポーズするっていうのが、氷河のお父様が出した認知の条件だったんでしょう?」
「認知の取り消しは難しくても、敵は氷河を勘当することができるわ」

いったい彼女たちは何を心配しているのだろう? ――と氷河は訝ったのである。
そんなことは氷河ははなから承知していた。
だが親の意に背いて勘当されたとして、それが何だと言うのか。
氷河は最初から――母親を亡くした時からずっと――ひとりだったのだ。

「一生に一度でいいのなら、俺はとっくに済ませて――」
自嘲気味な薄笑いを作って そう言いかけ、氷河はふいに、昨日の瞬の姿を思い出した。
俯き、肩を落とし、寂しげに氷河の前に佇む頼りない子供。
同じ光景を、氷河は以前にも一度見たことがあった。

「プロポーズ……したことがある」
その時氷河は、その子供を力づけるために、その幸福を願って、生まれて初めて“プロポーズ”というものをした――のだった。

母が亡くなったことを連絡しようにも、父の住まいはおろか名前すら聞かされていなかった氷河が、行き場を失った果てに預けられることになった養護施設。
一緒にいたのは僅か半年ほどだった。

何という名前だったか――ただ、可愛くて大人しい泣き虫の子だったことだけは憶えている。
氷河はその子と、その子に望まれるまま、ほとんど毎日のように ままごとをして遊んでやっていた。

木の葉の皿。
木の枝の箸。
シロツメクサのご飯、タンポポのサラダ、レンゲソウのケーキ。
亡くなった母親がそうしてくれていたように、白い手で丁寧に作られた様々な料理が氷河の前に差し出される。
実際には食べることのできない夢のように切なく懐かしい“手料理”――。

「いつか本物の、ちゃんと食べられるごはんを作ってあげられるようになりたいな……」
「――の作ったメシならうまいだろうから、楽しみにしてる」
「それまでずっと一緒に……」
言いかけて、その子供は言葉を途切らせた。
その子は、翌日には新しい両親の許に引き取られていくことが決まっていたから。

「僕は、氷河とずっと一緒にいたい」
泣いて俯いてしまったその子の肩を抱いて、氷河は言ったのだ。
「大きくなったら、会いに行くから、その時には俺にホンモノのメシを作ってくれ」
「氷河……」
「こういうの、プロポーズっていうんだぞ」
「大きくなったら、ほんとに会いに来てくれる?」
「約束するよ、瞬」

それが、氷河が自分以外の誰かの幸福を心から願った最後の記憶だった。






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