the Lover Standard Law
―恋愛基準法―







瞬は後悔していた。

氷河の青い瞳が、気遣わしげに瞬の顔を覗き込んでくる。
つい先ほどまで瞬は、まるで この世で自分の思い通りにならないものはないと信じている子供のように 泣きわめいたり、『痛い』と駄々をこねたりしていたのだから、氷河の気遣い――というより、心配――も当然のことだったかもしれない。
だが、瞬は子供ではなかったので、自分の要求が受け入れられた途端に けろりと泣きやんで満面の笑みを浮かべる幼稚園児のような真似はできなかった。

子供のように泣きわめいたことだけでも恥ずかしいのである。
この上 更に子供の行動をなぞるようなことはできない。
何よりも瞬は、氷河に何事かを言われても、気の利いた受け答えができそうにない今の自分自身を知っていたので、自らの視線を逸らすことで、さりげなく彼の青い瞳から逃げることをしてしまったのだった。

瞬は後悔していた。
本当に、深く後悔していた。
これ・・がこんなに良いものだと知っていたなら、あんなに嫌がったり恐がったりせず、もっと早くにさっさと氷河とこうしてしまっていればよかった――と。
瞬は、その踏ん切りがつかないほど氷河への好意に確信を持てずにいたわけでもなかったし、もちろん、氷河を焦らすつもりなど毛頭なかった。

瞬はただ、これがこんなに良いものだということを知らなかっただけなのである。
そして、そんなことをしてもしなくても、自分の気持ちが変わることはないと――思いが弱まる方にも強まる方にも変化は起きないと――瞬は考えていただけだった。
そういう考えを抱いている人間は、なかなか新しい冒険に挑もうとは思わないものである。

だが、氷河のたび重なる誘惑と熱意に負けて、実際に彼と肌を合わせてみると、氷河とのそれは“素晴らしく良いもの”だった。
だから、瞬は後悔していたのである。
これまで、あれこれと理由をつけては、氷河とのそれから逃げ回っていた自分の臆病を。

もちろん、そんな正直な感想を氷河に言うことはできない。
あれだけ躊躇してみせていた人間が、たった一度のそれで意見を180度変えてしまったら、氷河にどう思われることか――。
悪いようには思わないだろうが、笑われてしまうかもしれない。
本当は、これから毎日この楽しいことをして過ごせるのだと思うほどに、歓声をあげて喜んでしまいたいところだったのだが、瞬はその衝動もじっと耐えた。

氷河は、彼が不自然な交合を強いた相手の身体を気遣ってる。
確かにそれは、ある意味では肉体的な苦痛を伴う試練ではあった。
が、それが好きな相手の望むことで、彼が喜んでくれているのなら、そんなことは全く大した問題ではない。
とにかく気持ちよかったし、氷河もその行為に満足したから、そして これからも続けたいと望んでいるから、自分の身を気遣ってくれるのだろうと、瞬は察した。
氷河に気遣われるのも、そんなに悪い気はしなかった。
胸の内にくすぐったいような感覚さえ、生まれてくる。

だが、瞬は、自分の本音をあからさまにすることを自重した。
ほんの1時間前までは恐がって逃げ腰でいた手前もある。
これからの二人のことを考えると楽しくてたまらない――などという本音は、到底言えるものではなかった。
『こんな気持ちいいことだったら幾らでもしたい』と言いながら、相好を崩すことなどできるわけがない。

「瞬、本当に大丈夫なのか」
氷河は本気で心配しているようだった。
――だが、何を?
瞬は不思議でならなかったのである。
こういう場面で、氷河に笑い返すくらいのことはしてもいいのだろうか? ――と悩み、だが、それで軽々しい印象を持たれてしまうのは嫌だと思い直す。

では どうすればいいのかと考えあぐねた末に、瞬は、
「うん、平気」
と蚊の鳴くように小さな声で短い返事をし、枕に横顔を押しつけるようにして目を閉じた。






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