大慈大悲の観世音菩薩とは全く趣を異にした大いなる愛で 全人類を愛する女神は、紫龍の推察を聞くと、けらけらと実に楽しそうな笑い声を室内に響かせた。 そして、紫龍の導き出した答えに賛同した。 「ああ、あの二人ならそんなところでしょうね」 「これは笑い事では……」 「大丈夫、あの花の効力は半月だけなの。あの夜は確か新月だったと思うから、次の満月の夜には二人は元通りよ」 「まだ1週間以上もあるじゃないですか!」 沙織は無論、人間を甘やかすだけの神ではない。 彼女は、与えられた試練を乗り越えるための努力をし、実際に乗り越えてくる者にこそ深い愛を注ぐ、ある意味では非常にシビアな女神だった。 紫龍とてそれは承知していたのである。 だが、今回彼女が氷河と瞬に与えた試練は いくら何でも過酷に過ぎるのではないかと、彼は思ったのだ。 人間が――特にあの二人が――自分が愛されていることを知らずに生きていけるものなのか。 紫龍はふいに、13世紀の神聖ローマ帝国皇帝・フリードリヒ2世が行なった『沈黙の育児』の実験を思い出したのである。 皇帝は、生まれたばかりの赤ん坊を数人集め、衣食住の整った環境で育てる実験をした。ただし、誰も赤ん坊に話しかけてはならない。 集められた赤ん坊たちは1年が経たぬ間に、全員死亡したという。 人間の成長におけるコミュニケーションの重要性を示すものとして言及されることの多い実験だが、それはむしろ愛の欠如の問題――愛情を受けていると感じることのできない幼児には生命力を育むことができないということの証なのではないかと、紫龍はその実験の意味を捉えていた。 「沈黙の育児の実験結果を知っていますか」 「大丈夫。あの二人は、言葉を知らない子供ではないわ。でも、これからあの二人がどうなるのかは、とても興味深いわね」 「無責任な」 すべてを承知でこの実験に取り組んでいるらしい沙織に、紫龍が渋面を作る。 しかし、沙織の表情はあくまでもどこまでも明るかった。 「あの二人は、愛されていることは忘れても、愛していることは憶えているんでしょう?」 「だと思うけど……。いつもお互いを見てるし」 沙織のように明るい気持ちになれない星矢は、不安がちな顔をして頷いた。 だからこそマズいのではないかと、彼は思っていたのである。 ――欲しいものが自分のものではないという状態。 ここ数日間の氷河と瞬の 熱烈かつ絶望的な目を思い浮かべて、星矢はひどく暗い気分になった。 だが、アテナはどこまでも明るい。 彼女の声は、沈鬱な表情の星矢たちとは正反対に 軽快そのものだった。 「なら大丈夫よ」 「楽観的すぎませんか」 「人間というものに対して楽観的でいないと、アテナなんて商売はやっていられないの」 神に弄ばれている仲間を心配する星矢と紫龍の訴えを、彼等の女神は取り合おうともしなかった。 そして、事態は、星矢たちが二人の仲間を案じているまさにその時、沙織の言った通りに進展していたのである。 |