シュンの国ガリアにヒベルニア国の軍が突然の侵略を開始したのは、春まき麦の収穫が終わり、まもなく秋分という時季だった。 海峡を隔てて、大陸にあるガリアと島国であるヒベルニアの間にはそれまで紛争の種などなく、むしろ没交渉と言っていい関係にあったので、ヒベルニアの突然の侵略行為はガリア側にしてみれば、まさに晴天の霹靂の出来事だった。 当初、船を使って兵を運ばなければならないヒベルニア軍は防衛にまわったガリアの兵に侵攻を阻まれ、はかばかしい戦果をあげられずにいた。 どう考えてもヒベルニアの侵略は周到な準備と計画の上で行なわれたものとは思われず、ガリアの王であるシュンの兄は、ヒベルニアの無謀に呆れ果てていたのである。 が、ひと月後に、その形勢が逆転する。 それまで優勢だったガリア軍が、ある日を境に、各所でヒベルニアの猛攻のため防衛ラインを突破され始めたのだ。 大軍を乗せた船が海峡を渡った気配はなく、奇異に思ったガリア王が密偵に探らせたところ、ヒベルニア軍の突然の快進撃は一人の騎士の参戦に端を発するものだということがわかった。 ヒベルニアの王族の一人ではあるらしかったが、身分も戦さの経験もさほどではない まだ年若い騎士の加勢に、ヒベルニア軍は士気を高めているというのだ。 それにしても、国と国との戦いが一人の騎士の参戦でこれほど劇的な変化を見せることは、尋常の戦さでは考えられない。 そんな奇跡は、神の意思が働いているのだとしか思えなかった。 「その騎士はさぞかし厳しいゲッシュを課しているんだろう。破ってくれればいいんだが」 ヒベルニアの騎士や従卒たちがガリアの騎士たちの命を奪うことをせず、ほとんどを捕虜として捕らえていることも、その騎士のゲッシュに関わっているのかもしれない――と、シュンの兄であるガリアの王が呟く。 その言葉通り、ヒベルニア軍に捕らえられたガリアの騎士たちは、地位や身分に応じた身代金もしくは相当量の小麦や家畜で敵軍から解放されていた。 無論、解放されたガリアの騎士たちは自らの不名誉を挽回するため、再び戦いの場に赴く。 こんな非常識な戦術も、ガリアの者たちには初めて経験するものだった。 国民や騎士たちの落命の報告はほとんどなかったが、収穫したばかりの麦を奪われ、冬を越すために蓄えておいた食糧を奪われて、ガリアの民の不安はいや増しに増していた。 ヒベルニアの兵に殺されることはなくても、このままでは冬の到来と共にガリアの民の大半は飢えて死んでしまう。 国と民を案ずる兄を見て、シュンの心は痛んだ。 シュンはまだ、騎士としては幼いと言っていい年齢だった。 実際、ガリアの国の中では最年少の騎士だった。 若すぎる叙任に王の実弟という地位がものを言ったのは確かだが、たとえ王弟といえど、礼節、乗馬術、剣技等、ふさわしい力量を有していなければ、騎士として叙任されることは決してない。 シュンはそれは備えていた。 だが、戦場での実戦の経験がなく、それがシュンの負い目になっていたのである。 命に関わることのない儀礼としての騎馬試合は幾度も行ない勝利していたが、それらの勝利は、もともと争いごとを好まないという騎士にあるまじきシュンの価値観と相反し、かえってシュンの負い目を二重のものにしてしまっていた。 だが、このヒベルニアとの戦さは普通の戦さではない。 ガリアの国と民は確実に、そしてじわじわと冬という死地に追い詰められつつある。 シュンは、だから決意したのだった。 戦さの情勢を変えてしまった騎士のゲッシュを探り出すことを。 騎士としての高潔と名誉を重んじる王にはそんな策略を巡らすことはできないだろうが――むしろ、敵との一騎打ちこそが王の望むところであろうが――戦いを厭うシュンには、騎士としての名誉や高潔より国民の命の方がずっと大切だという価値観を持つ自分自身を許すことができたのである。 城の神官に『新たに敵軍に加わった騎士のゲッシュを手に入れるまで、この城には戻らない』というゲッシュを宣誓すると、シュンは王にも家臣にも知らせずに、ひっそりとガリアの王城を出た。 少なくとも、ゲッシュを守っている間は神の加護が得られる。 城に戻らない限り、死ぬことはない。 命の安全が保証されていれば、人は――戦さの経験のない未熟な騎士でも――大胆になる。 シュンは、金糸銀糸で飾りつけられた王子の衣装を脱ぎ、粗末な麻のチュニックを身にまとうと、戦場の混乱のために方角を見失った農民の振りをして、敵陣に忍び込んだのである。 |
■ ヒベルニア:現在のアイルランド ガリア:現在のフランス・ドイツ地方 |