ヒョウガはヒベルニアの国王の遠縁にあたる青年らしく、個人の幕屋を与えられていた。
そこは最初にシュンが忍び込もうとした幕屋ほど大きくはなかったが、複雑な模様が織り込まれた分厚い絨毯が敷き詰められ、テーブル、寝台、毛皮やクッション、真鍮製のランタンと一通りの家具が揃い、まるで普通の住居の一室を切り取って屋外に運んできたような設備が整っていた。
そのような技術はガリアにはない。
ヒョウガの幕屋の内を見て、シュンは素直に驚いた。

「ヒベルニアは……僕たちが思っているよりずっと高い文化を持ってるんですね。僕は誤解してたようです」
「食えないものなら、大抵のものは揃っている」
何が気に障ったのか、まるで吐き出すようにヒョウガが言う。
ヒョウガが突然機嫌を悪くしたわけが、シュンにはわからなかった。

――信じられないほど簡単に、求める騎士のゲッシュを知ることができた。
このまま城にとって返し、ヒョウガが懸念してた通り、一目で恋に落ちずにいられないような美女を彼の許に送り込んで彼にゲッシュを破らせれば、ガリアはヒベルニアの脅威から逃れることができる――かもしれない。
だがシュンは、なぜかそうしたいと思うことができなかった。
ヒョウガは――ヒベルニアは――どうして突然ガリアの侵略を始めたのか。それがただ恨めしい。

「ヒベルニアは、なぜガリアに攻め入ってきたの」
返答を得られることをあまり期待せずに、シュンはヒョウガに尋ねたのだが、それは騎士のゲッシュ以上に周知のことだったのか、ヒョウガは存外気安く、シュンにその答えを与えてくれた。
「去年今年と、ヒベルニアでは夏場にほとんど太陽の姿を拝めなかった。麦や果樹は実らず、家畜は流行り病で次々に死に、蓄えておいた食糧が底をついた」
「え……?」

ヒョウガの口から聞かされた思いがけない戦さの理由に、シュンは息を飲んだのである。
この2年間、ヒベルニアに姿を現さなかった太陽が、隣国のガリアにだけ訪問を重ねていたはずがない。
農作物の不作はヒベルニアに限ったことではないのだ。
「だから、ガリアのそれを奪おうというの? ヒベルニアは、自分たちが生き延びられればガリアの民はどうなってもいいと考えているの」
「くれと言ってくれるものなら話は別だが、そんな美談は聞いたことがない。今のまま手をこまねいていては、ヒベルニアは今年の冬を越せそうにない」

ヒベルニア軍が、捕えたガリアの騎士の命を奪わず、その身の代として麦や家畜を要求してくる訳。
それがやっとシュンにはわかった。
ガリアはヒベルニアにとって、憎い敵国なのではなく、自国よりも飢饉の被害の少なかった最も近いところにある国だったのだ。

「ガ……ガリアもそんなに余裕があるわけじゃない。ガリアだって今年の麦の収穫は例年の半分程度と聞いています。余剰な食料など――」
「ヒベルニアの麦は全滅だ。ガリアはヒベルニアに比べればずっと恵まれている。ヒベルニアでは、町はもちろん農村部でも、飢えた子供の泣き声が聞こえない日はない。この軍陣にいる騎士たちは皆、ヒベルニアの民のために卑怯者になることを決意した者たちだ」
「…………」

では、ヒベルニアが為そうとしていることは、他国の侵略ではなく自国の防衛ということになる。
そのために名誉を捨てた騎士たち――。
シュンは無言で俯いた。






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