それから3日後。
騎士見習いの少年がするような雑務をしながら ヒョウガの許で過ごしていたシュンは、飲み水を調達するために彼の幕屋を出たところで、見知った顔の男に出会った。
見知った顔といっても、ヒベルニアの陣中で顔見知りになった騎士ではない。
それはガリアの王宮でシュンの兄に仕えていた騎士だった。

おそらくはシュンの兄の命でシュンを捜しにやってきたのであろう彼は、シュンよりはずっと巧みに敵陣内に紛れ込んできたらしい。
ヒョウガの幕屋の脇に立つ樫の木の陰にシュンを連れていくと、彼はシュンの前に片膝をつき、彼の用件を告げた。
「お戻りください、陛下が――兄君がご心配なさっています」

「戻れない。僕……は、ヒョウガの――ヒベルニア軍の勢いを変えてしまった騎士のゲッシュを手に入れるまでは城に帰らないと、神に誓約したの」
シュンは、シュン自身が驚くほど迷う時間を費やさずに、兄の使いにそう答えていた。
騎士がシュンの答えに、息を飲む。
彼は、ひそめていた声を更にひそめた。

「それで、わかったのですか」
「……わ……わからないの、まだ」
嘘をつきなれていないシュンの声は不自然に震えたが、敵陣のただ中というので気を張りつめさせている騎士は、シュンの声の不自然に気付かなかったらしい。

「己れの命に関わることを、そう簡単に洩らす愚か者がいるとは思えませんな」
「うん、そうだね……」
その愚かなことを、ヒベルニアの騎士たちはあっさりとしてのけた。
彼等は本当は人がよく 無闇に他人を疑うことをしない男たちなのだと、今ではシュンにもわかっていた。

ヒベルニアの陣中で長く思案を巡らす時間はガリアの騎士には与えられていなかったし、長考しても結論は変わらなかったに違いない。
シュンを無理に王宮に連れ戻せば、その命が失われてしまうのだ。
「では、王にはそのように伝えます」
地につけていた膝をあげ、その場を立ち去ろうとした騎士を、シュンは反射的に引き止めた。
そして、訴えた。

「……ヒベルニアに食料を送ることはできないか、兄に――陛下に訊いてくれない? ヒベルニアの目的は領土の侵略じゃなくて、この冬を越す食料を求めているだけらしいの。ヒベルニアに我が国が手を差しのべることは可能かどうか考えてくださいって、陛下に――」
「そのような前例は聞いたことがありません。だいいち、我が国の民が日々の仕事に勤めているのは、自分と自分の家族の命をつなぐためです。それを見も知らぬ他国の誰かに分け与えることなどできるわけがない」

シュンの提案に対するその騎士の答えはきっぱりしたものだった。
しかし、シュンは食い下がる。
「でも……でも、2つの国の民が支え合って、ぎりぎりでも冬を越せたら、逆の立場になった時にはヒベルニアがガリアに手を差しのべてくれると思うの。前例がないのなら、作ればいい。この戦さがいつまでも続いたら、いずれどちらかの国が滅ぶ――ううん、へたをすると共倒れです」
「それは確かに……そうかもしれませんが」

それでもためらいを見せる騎士に、シュンは懸命に訴えた。
「お願い。兄に必ず伝えて。でないと、僕はきっと永遠に城には帰れない」
「…………」

シュンの決死の表情と声音に何か感ずるものがあったのか、彼はそれ以上は何も言わなかった。
素早く一礼して、彼は再びヒベルニアの兵の中に紛れ込んでいった。






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