氷河自身には違和感も痛みも感じられなかった。
目を閉じていたら、自分の姿が変わったことにさえ、氷河は気付かなかったろう。
氷河にその変化を気付かせてくれたのは、彼の視線の高さの変化だった。
これまで顔を上向きにして見あげていた幽霊の顔が、今は氷河の目線よりも下にある。
瞬に抱き上げられなければ見ることのできなかった玄関脇の壁に掛けられている鏡の中も、普通に覗くことができた。
それどころか――それは瞬の身長に合わせた場所に掛けられていたので、氷河は少し身を屈めなければ、自分の顔を確かめることができなかったのである。

人間になった氷河は、瞬よりずっと背が高く、腕も長く、肩幅も広かった。
これなら、瞬を抱きしめることも容易にできる。
ただ、髪の色が金色で、瞳の色が青いのが、氷河の気に入らなかった。
「もっと瞬に似ている方がいい。このあたりの人間の髪や目はもう少し濃い色で――」
「贅沢を言わないで。あなたのお母さんは、そういう色の髪の人間がたくさんいる国の生まれだったから、あなたも自然にそういう姿になるの」

白い幽霊は、氷河のことを何でも知っているようだった。
瞬時ためらってから、氷河は彼女に尋ねた。
「おまえは俺のマーマが今どこにいるのかを知っているのか」
「……彼女は今は、あなたの心の中にしかいないわ」
首を左右に力なく振って、彼女が氷河に告げる。

それがどういう意味なのかがわからないほど、氷河はもう幼くはなかった。
母は、我が子を生き延びさせるために その最期の力を使い果たしたのだ。
氷河は唇を噛みしめた――人間になった氷河には、そうすることができた。
そして、母の死を知った氷河は、だからこそ、自分はどうしても 瞬を抱きしめられるものにならなければならないと思ったのである。

抱きしめられるだけのものでいるのは嫌だった。
二度と、庇われ守られるだけのものにはなりたくない。
氷河にはもう瞬しかいないのだ。


「氷河、どこにいるの? 隠れんぼはやめにして、僕のとこ 来て?」
氷河を捜す瞬の声が聞こえてくる。
これまで いつも一緒にいた。
眠る時も同じ部屋で眠った。
瞬は夜中に必ず一度は彼のベッドの脇で眠っている氷河に手をのばし、そこに氷河がいることを確かめることをした。
そして、氷河に触れると安堵して、瞬はまた眠りに就くのだ。
これから瞬は一人で眠ることができるのだろうか――。
氷河はそれが心配でならなかった。
だが、彼は、二度めぐってくるかどうかわからないこのチャンスを逃したくなかったのだ。

「それでも……試してみるのね?」
白い幽霊が、気遣わしげに氷河に尋ねてくる。
氷河が彼女に頷き返した顎を元の位置に戻した時には既に、氷河は瞬の家の外にいた。

「氷河、どこー?」
家の中から、心細そうな瞬の声が聞こえてくる。
氷河は身を切られる思いで、その声に背を向けた。






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