人間が大勢いる場所の方が、幸せになれずにいる者も多いに違いない――と考えた氷河は、瞬の家からタクシーで2時間以上かかる都心のホテルに身を落ち着かせていた。
そのホテルを出た途端に、ホテルの敷地内の庭のベンチで甲高い声を響かせている女子高生らしい二人連れを見付ける。

「あーん、おなかへったー。直径30センチくらいの超巨大モンブランが食べたいー」
「ぶ厚い神戸牛の熱々ステーキの方がいいよ、絶対ー」
いかにも生きることの苦労を知らないように、場合によっては生死にも関わる自らの望みを 笑いながら語り合う少女たち。
こういう人間には、幸福になる行為も手軽なものなのかもしれない。
氷河は、彼女等が腰掛けているベンチに歩み寄り、二人の少女にぶっきらぼうな声で告げた。

「食い物をやろうか」
「え……」
どうやら学校帰りだったらしい二人が、突然見知らぬ男に声をかけられて驚き、互いの顔を見合わせる。
それから二人はこそこそ小声で話し合っていたが、やがて、
「いいじゃん、この人すっごくカッコいいしー。奢ってくれるって言ってるんだしー」
という結論に達したらしい。

それを了承と受け取って、氷河は、たった今あとにしたばかりのホテルに逆戻りした。
その建物の最上階が、『都会の夜景を 都内で最も高い場所から一望できる』を売りにしたレストランになっていたのである。
「好きなものを好きなだけ食え」
テーブルに案内されると氷河は二人にそう言ったのだが、彼女たちはテーブルの上に並んだ幾組ものナイフとフォークに気後れしたのか、あるいはメニューが読めなかったのか、迷い迷いしながら随分と控えめなオーダーをして、運ばれてきたものをおどおどしながら口に運び始めた。

人間になってから、氷河は、食事は専らこのレストランで済ませていたが、いつもほとんどテーブルフォーク1本だけで出されたものを食べきっていた。
それで店の者に文句を言われたこともない。
もっとも、氷河は今は空腹ではなかったので、自分が食するものは何も注文しなかった。
それも、彼女たちを不安にしたらしい。
終始 怯えたような表情で、おそらくは料理の味もわからずに、それでも食器を空にした二人に、氷河は尋ねてみたのである。
「幸せになったか?」
と。

氷河の質問の意図はもちろん意味すらも理解できなかったのか、二人の少女がきょとんと瞳を見開く。
「空腹を満たしたいという、おまえたちの望みはかなった。幸せになったか?」
「なに、この人」
「この人、変よ、やっぱり」
氷河の無愛想な表情と言動とに不安と不審を感じていたに違いない彼女たちは、突然椅子から立ち上がると、氷河の尋ねたことに答えもせず、食事を与えてもらった礼もせずに、ばたばたとその場から逃げていった。

氷河の最初の試みは、そんなふうに見事に失敗に終わったのだった。






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