年若い女子高生を幸福にすることに失敗した氷河は、次に、いかにも心中に不平不満を抱えたような様子の老人を見付け、今度は彼を幸福にしてやろうと考えた。

彼の不満は、
「こんな年寄り、誰も相手にしてくれない。若い者たちは皆、俺を馬鹿にするし」
ということのようだった。
誰に問われたわけでもないのに、都会の夜の空気に向かって、彼は自身の不満を吐き出していた。

彼が他人に無視される理由は他のところにあるようだったが、そんなことを指摘してやるほどの親切心を、氷河は持ち合わせていなかった。
自分の短所に気付いたところで、人が幸福になれるとは限らない。
知ってしまったことで、不幸になる人間もいるだろう。
氷河には、瞬以外の人間のそこまでを世話する意思は全く持っていなかったのである。

「相手がほしいのなら、俺が貴様の相手をしてやろう」
「何だ、あんたは」
他人の無視を不満に思い、“相手”を欲していたはずの老人は、突然、上からものを見下ろすような態度と口調の氷河に出会い、本能的な恐怖を覚えたらしい。
枯れ木のような身体をした老人は、腕の太さも氷河の半分もないようなありさまで、彼が氷河に怯えたのは、ある意味当然のことだったかもしれない。

「ああああ相手なんて、そそそそそんなものは必要ない!」
それでも無理な虚勢を張って、彼は、空気の抜けたゴムボールが転がるように、氷河の前から逃げていってしまった。


一事が万事、この調子だった。

「給料あがんねーかなー」
と酒を飲んでくだを巻く中年のサラリーマンに、氷河が金を与えると、彼はなぜか、
「すみません、すみません、冗談です」
とぺこぺこ謝りながら、どこかに姿を消していった。

一度に大金を渡したのがいけなかったのかと考えて、別の男に小金を与えると、彼は、いつまでたっても満足せずに、次を次を と氷河にせがんできた。

「あいつ、脚の1本でも折って、学校に来れなくなればいいのに」
別れたばかりの友人の背中に向かって毒を吐く学生の望みを叶えてやったこともある。
それまで憎々しげに友人の背を睨んでいた学生は、その場にへたり込み、青ざめた顔で氷河を見上げると、突然大声で泣き出した。
彼が幸福になっていないことは、わざわざ尋ねてみなくても、氷河にはわかった。


1ヶ月、2ヶ月、半年、10ヶ月。
氷河が出会う人間たち――不満を抱えた人間たち――は、誰も彼もがそんなふうだった。
氷河が望みを叶えてやっても、彼等は誰一人喜ばない。
もちろん、自分を幸福だと感じることもない。

氷河は色々な試みを試みた。
だが、そのすべてが、彼の期待とは正反対の結果を生むことになった。
氷河がしたことで、幸福の笑みを浮かべてくれる人間はただの一人もいなかったのである。






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