知らせが夜に入ってからだと彼は死んでいたかもしれない――と、その男を救急車に運んだ救命士は氷河たちに告げた。
男を乗せた救急車がサイレンを鳴らしてその場から走り去ると、秋の住宅地に静けさが戻ってくる。
おそらく、見て見ぬ振りをしてこの場を通り過ぎていった住人たちは、そのサイレンの音を聞いて、自らの罪悪感を安全な家の中で慰めているのだろうと、氷河は思った。

「そうか、食べ物……。救急車より、そっちを先にすべきだったのかな。僕、気がきかなくて……」
氷河が買うだけ買って、ベンチの上に置いていたドリンク剤のビンを見て、瞬が軽く唇を引き結ぶ。 それから瞬は、氷河を見上げて、
「知らない人だったのに……優しいんですね」
と言った。

「俺が?」
思わず反問した氷河に、瞬が頷く。
「あの人、みんなが見て見ぬ振りをしてた。僕もそうしてしまいそうになった。……救急車を呼びに行ったのは、ほんとは僕自身が直接関わり合いになるのが怖かったからかもしれないです。本当に死にそうに見えたから……恐かった」
「…………」

関わりを持った人が死んでしまうことが恐ろしい――とは、瞬だけが感じる特殊な感覚なのだろうか。
見て見ぬ振りをすることで間接的に人を死なせてしまうことよりも、死と関わりあうことの方を恐ろしいと、人は感じるものなのだろうか。
氷河は、あの男を見捨てていった者たちは、あの男の不潔や悪臭を避けているだけなのだと思っていたのだが、人間の感じ方はそんな単純なものではないのかもしれない――と、彼は改めて思い直した。

ともあれ、瞬は、死にかけた男を見捨てなかった。
氷河はそのことに安堵した。
それとほとんど同時に、瞬が長い息をついて、ベンチに腰をおろす。
そして瞬は、
「よかった。あなたがいてくれて」
と、小さな声で呟いた。

瞬が瞬のままでいてくれた。
それだけで――それだけのことで俺は幸せになれるのに、人間という生き物は――。
氷河の胸の中にはまた、瞬以外の人間に対する憎悪と軽蔑と、そして未練が湧きおこってきてきた。






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