「子犬を……拾ったんです。2年くらい前に、やっぱり この公園で、母親と引き離されたのか、ひどく痩せてて、今にも死にそうで、息をしてるのが不思議なくらい弱くて小さくて――。でも、あの時の僕は、ためらいもせずに氷河を抱き上げて家に連れ帰った……」

ベンチの瞬の隣りに氷河が腰をおろすと、瞬は突然話し始めた。
今瞬の隣りにいる男が何者なのかを知らないはずの瞬が、なぜそんなことを突然に? と、氷河は訝ったのだが、それは瞬にとっては懺悔にも似た独り言だったらしい。
瞬は氷河を見ておらず、膝の上に置かれた彼自身の小さな二つの拳を見詰めていた。

「あんなことができたのは、僕が、犬の死になら耐えられると思ったからだったんだろうか……。氷河の命を僕は軽んじてたんだろうか……。だから、そのことに気付いたから、氷河は僕から離れていってしまったんだろうか――」
「そんなことはない。あの男も、結局瞬は見捨てなかった。瞬は――」

もうすぐ自分は人間の言葉を話せなくなる。
せめて ほんの僅かでも瞬の心を軽くしてやりたいと思って、氷河は瞬に“言葉”をかけた。
が、すぐに自分が まだ名乗られてもいない瞬の名を口にしてしまったことに気付き、氷河は慌てて言葉を濁した。
幸い、瞬は、氷河のミスに気付いた様子はなかった。

「そうなのかな……。でも、僕の氷河は1年前の今頃、どこかに行っちゃって――。可愛がってたのに、好きだったのに、僕が自分でも気付いていなかった気持ちを、氷河は見透かしていたんじゃないかと、そんな気がして――」
「犬がか? まさか」
「氷河は、とても賢い子だった! 時々、ほんとに何かを考えてるみたいに、何かを訴えようとするみたいに、じっと僕を見詰めてて――」
氷河に“氷河”を馬鹿にされたと思ったのか、瞬は向きになって氷河に反駁してきた。
が、すぐにまた力なく肩を落とし、顔を俯かせる。

「じゃあ、僕はただ氷河に嫌われちゃっただけだったのかな。僕は氷河が大好きだったのに……。僕、一生懸命 氷河を捜したのに、僕がどんなに泣いても、氷河は僕のところに戻ってきてくれなかった……」
膝の上に置いた瞬の手に、涙の雫が零れ落ちる。

(瞬……)
瞬をこんなに悲しませるのなら、そしてどうせ誰も幸福にすることができないのなら、犬の姿のままずっと瞬の側にいればよかったと、氷河は自分の選択した運命を心底から悔やんだ。
しかし、どれほど悔やんでも、過ぎた時間を元に戻すことはできない。
万聖節の日の太陽は、既にその半分以上が、氷河たちのいる世界から見えなくなってしまっていた。

もうすぐ、その時が来る。
氷河は今は、泣かないでくれ、幸せでいてくれと、その言葉だけを心の中で瞬に向かって繰り返していた。
俺はもうすぐ野良犬の姿に戻って死んでいく。死んでもいい。瞬が幸せに微笑んでいてくれるのなら――。
自らの命の終わりかけている時に、氷河が望むことはただそれだけだった。

そして、たった今、瞬に笑ってもらいたかった。
これが二人の最後の出会いなのだ。






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