「だいいち、おまえ、天使というものをどういうものだと思っているんだ。俺が、おまえを揶揄するために“天使”なんて言葉を持ってきたとでも思っていたのか」
「どう……って、善の心しか持っていなくて、平和な花園に住んでて、醜さを知らず、不幸も闘いも罪も知らない幸福なもののこと……でしょう」

自分がそういうものではないことを知っているから、瞬はその言葉に傷付いたのだ。
自分がそういう幸運なものとして生まれてこなかったこと、そういう幸運なものには なりえないことを知っていたから。

しかし、氷河の言う“天使”は、どうやらそういうものではなかったらしい。
彼は、例によって真面目なのかふざけているのかわからない あの真剣な目をして、瞬に告げた。
「ナイチンゲールが、『天使とは、花を撒き散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者のことだ』と言っている。おまえはそういう天使だよ」

「……氷河」
いったい氷河は、ぐずぐずと悩んでばかりいる仲間をどこまで甘やかすつもりなのか。
瞬はあふれそうになる涙を懸命に瞳の中にとめおいて、なんとか氷河に笑顔を向けることに成功した。
「じゃあ、氷河も天使だね。悩んでばっかりいる僕のために闘ってくれる」
「そうだ。知らなかったのか」

氷河はどうやら、瞬に笑ってもらうためにそう言ったらしかったのだが、瞬は――瞬も――氷河に真顔で答えた。
「ううん。知ってた。僕はいつも、みんなが羨ましかった。氷河も星矢も紫龍も自分の信じるもののために、迷いもせず闘いに向き合う。僕は、氷河たちこそが清らかで迷いのない天使なんだと思っていた……」

「俺みたいなのが天使だったら、それこそ天使が気を悪くするだろう」
「ど……どっちなの。天使だって言ったり、そうじゃないって言ったり」
「俺はおまえだけの天使なんだ」
氷河が瞬の両腕を掴み、その場に立ち上がらせる。

「い……言ってて恥ずかしくない?」
「全然」
むしろ、言われる自分の方が恥ずかしくて、瞬はこころもち顔を伏せて氷河に問うたのだが、瞬だけの天使は至って厚顔無恥な質らしく、彼は照れた様子ひとつ見せなかった。

その強心臓を、瞬は笑い責めようとしたのだが、瞬には結局そうすることができなかった。
「瞬?」
また黙り込んでしまった瞬の顔を、氷河が覗き込んでくる。
瞬は顔をあげ、氷河と彼の仲間たちに告げた。

「もし……もしもだよ。もし、氷河の言う通りに、僕がそんなふうに清らかなのだとして――。こんなふうに迷ってばかりの僕が今まで汚れずに生きてこれたのは、氷河たちのおかげだよ。僕に、諦めないことを教えてくれたのは氷河たちだもの。ひとりでは、僕は、清らかでも天使でもいられなかった」
天使でも人間でも――自分ほど恵まれ幸福な人間が果たしてこの世界にどれほど存在するものか。
更に、その事実を自覚できている者はいったい幾人いることか。
そう思いながら、瞬は、これまで その事実に気付かずにいた自分自身を悔いることをしたのである。

「平和な花園で、憎しみも悲しみも迷いも知らずにいたら、清らかな天使でもいられるだろうと思ってた。でも僕はそういうものじゃない。だから、僕は――」
だから自分はそんなものではないと、瞬は、天使たりえるものを羨んでいたのだ。

紫龍が、そんな瞬に首を横に振ってみせる。
「それは清らかなのではなく、無というものだろう。生き始める前の赤ん坊と同じだ。汚れを知らないことと、汚れないことは違うぞ」
氷河が紫龍の言葉に頷き、
「おまえは汚れを知っている。不幸にして、人の弱さにも脆さにも醜さにも 嫌になるほど出合ってきた――が、おまえは汚れてはいないんだ」
星矢までが、いつになく真面目な顔で言う。
「俺はさー、ハーデスは見る目があったって思ってるぜ、ほんとは」

「みんな……」
瞬は、自分の仲間たちこそが天使なのだと思った。
彼等は、希望と夢と、優しさと強さと、この世に存在する ありとあらゆる清らかなものでできている。
アテナの聖闘士とはそういうもののことをいうのだと、瞬は心の底から思ったのである。






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