絵梨衣には先客があった。
氷河が絵梨衣の許を訪ねてきていることを 星の子学園の子供たちに知らされた瞬は、我知らず、安堵の息とも嘆息ともつかない溜め息を吐き出していた。

おそらく、氷河は絵梨衣に事実を告げることにしたのだろう。
だとしたら、瞬の出る幕はない。
そして瞬は、二人が仲直りする場面など見たくはなかった。
そのまま帰ろうとした瞬に、子供たちが、
「氷河にーちゃん、図書室にいたよー」
と教えてくれる。
彼等の親切を無にしないために、瞬は、氷河と絵梨衣がいるという図書室に向かう振りをした。
適当にその辺りで数分を過ごし、用を済ませた振りをして、瞬は城戸邸に戻るつもりだった。
――のだが。

「氷河さん、どういうことなの。話がずいぶん違っていたけど」
万一 子供たちに異変が起きた時それを即座に察知できるように――城戸邸と違って星の子学園の建物は、そもそも防音という思想のない建築物である。
瞬が図書室前の廊下にやってくると、氷河と共に室内にいるらしい絵梨衣の声が外に洩れ聞こえてきた。
彼女は少し気色ばんでいるようだった。

「氷河さん、『瞬は本気で怒らせたら鬼より怖い』って言ってたでしょう。それがあんな――」
「いや、そのはずなんだ。だから俺はてっきり――」
「とにかく、私はこんな後味の悪いことはもうしたくないわ」
「絵梨衣、そんなことを言わず、もう少しだけ俺に付き合ってくれ」
「いいえ、もうこれでおしまいにしましょう。考えてみれば、どうして私がホモ! の男のために、こんなに時間を割かなきゃならないの」

「あ……」
やはり氷河の計画は、思い切り裏目に出てしまっていたらしい。
氷河から反駁の言葉が出ないところをみると、彼は自分の企んだ計画を絵梨衣に打ち明けることもできずにいるようだった。
このままでは絵梨衣と氷河の仲は本当に破綻してしまう。
心のどこかにそうなることを望む気持ちが全くなかったといえば それは嘘になるのだが、恋を失って打ちひしがれている氷河の姿は、なおさら見たくない。

瞬は考えるより早く 図書室の引き戸を開け、その中に飛び込み叫んでしまっていた。
「ちっ……違うんです! 氷河は――氷河は絵梨衣さんのことがとっても好きで、お……男のくせに氷河を好きなのは僕だけで、氷河は最初から絵梨衣さんだけを好きだったんです!」

突然の闖入者に驚き、瞳を見開いた絵梨衣は、しかし、すぐに脱力した様子で長い溜め息を洩らしたのだった。
「ほら、全然、氷河さんの思惑通りに進んでなんかいないじゃないの。だから、こんな小細工はよくないって言ったのに」
図書閲覧用の大テーブルの向こう側で、絵梨衣がなじるように氷河に言う。
氷河は――瞬と絵梨衣とを交互に見やり、実に気まずそうな顔になった。

絵梨衣がそんな氷河を無視して、瞬に向き直る。
「あのね、瞬さん。氷河さんが好きなのは私じゃなく あなたなの。あなたは自分がダシにされていると思っていたようだけど、本当は逆。氷河さんは、自分に付き合っている人がいると知ったら、あなたが焼きもちを焼いて、自分の気持ちを自覚してくれるんじゃないかと思ったのよ」
「え……」

「昨日だってね、私があなたをいじめたら、あなたが本気で怒って、私なんかに氷河さんは渡さないって激昂することになるはずだったのよ、氷河さんの穴だらけの筋書きでは。まあ、私だって氷河さんを好きな気持ちがないわけじゃなかったけど、会うたびにあなたの話ばっかりされてたら、そんな気持ち、あっという間にどこかに飛んでっちゃったわ。私は、マトモな人が好きなの」

「で……でも、氷河は」
「だから、氷河さんが好きなのは、最初からあなた」
きっぱりと、そして至極あっさりと言いきってから、絵梨衣は、
「あなたもそうなんでしょ?」
と、探るように瞬の顔を覗き込んできた。

瞬がびくりと身体を震わせる。
絵梨衣は瞬の返答を待つようなことはしなかった。
彼女は、ホモ! の痴話喧嘩の仲裁など、さっさと終わらせてしまいたかったのだ。
「氷河さんは、あなたも氷河さんを好きでいることに気付いてて、あなたの方からその気持ちを氷河さんに訴えずにいられない状況を作ろうとして、こんな茶番劇を仕組んだの」
「そんな……だって、そんなひどいこと、氷河が……」

では、氷河は、仲間の気持ちを知っていて、その上であんな計画を持ちかけてきたというのだろうか。
無意識の残酷なのだから恨むまいと思えていたことを、意識したものだったと聞かされて、瞬は泣きたい気持ちになった。
あんな苦しいことを、氷河は意識して、生死を共にした闘いを闘ってきた仲間に強いた――のだ。

「ほんと、ひどいわよね。真正面から好きだといえばいいのに」
同情に耐えないというように瞬を見詰めていた絵梨衣は、それから、蔑むような視線を 彼女の隣りに立つ氷河に投げつけた。

それまで沈黙を守っていた氷河がむっとした顔になり、初めて口を開く。
「言ったぞ! 俺は何度もおまえに好きだと言った。なのに、おまえはそれをことごとく仲間としてのことに変換して、俺の気持ちを認めようとしなかったじゃないか! だから一計を案じたんだ。他にどうすればよかったんだ。言葉で言ってもわかってくれないものを……!」
「氷河……」






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