納得しきれていない瞬の横顔に、氷河がちらりと一瞥をくれる。
氷河は決して、この地上から戦いはなくならないということを瞬に納得させたいわけではなかった。
が、現実を見据えずに理想を振りかざすことほど危険なことはなく、また、それは瞬を孤立させることにもなりかねない。
氷河は再度口を開いた。

「たとえば――そうだな。星矢が誰かに理不尽に命を奪われたとする」
「俺かよ!」
瞬の後ろの席にいた星矢が素頓狂な声をあげて、その腕を伸ばして氷河の首を締めつけてくる。
その手を軽く外すと、氷河は白々しい口調で、彼に白羽の矢を立てた理由を口にした。
「紫龍でもいいが、紫龍はすぐに生き返るから悲愴感に欠ける」
「それを おまえに言われたくはないな」
紫龍はさらりと嫌味を返してきたが、氷河は彼の嫌味に反駁せずに頷いた。
この場で、瞬に語るその IF文の主格にふさわしい人物は、つまり星矢しかいないのだ。

「この馬鹿が誰かに殺されたとする。おまえは俺に自分の憎しみや悲しみを抑えて、憎むな忘れろと言う。『そんなことをしても星矢は喜ばない、自分の未来の幸福を考えろ』と。それは正しい。だが、俺は、そんなおまえを薄情な奴だと思うだろう。そんな綺麗事を言うおまえを憎みさえするかもしれない」

「おまえがそこまで情に厚い奴だったなんて、俺、知らなかったぜ」
星矢は、思いがけない氷河の言葉に少しばかり感動したのだが、氷河は、
「ただの例えだからな」
と、言わずにいればいいことを告げて、彼の感動に水をさした。
可愛げのない仲間に文句を言いたげに唇をとがらせた星矢を無視して、氷河が彼の言葉を続ける。

「アフロディーテのことがあったから、おまえはそう考えるようになったんだろうが、そのことを知っている者の中には逆に、自分は仇を討ったくせにと、おまえを誹謗する者も出てくるかもしれない。俺だけじゃなく、この馬鹿と付き合いのあった多くの者が、星矢を倒した敵を憎むまいとするおまえの星矢に対する友情を疑うようになるだろう。おまえは星矢を大して大切な仲間と思っていなかったのだ、とな」

「僕は……」
「そんなふうに――人は、自分自身と周囲の圧力に負けて、義務のように憎むんだ、人を」
「…………」
具体例を出されると、瞬はつらかった。
死んだ仲間のことを考えると、確かに、生き残った自分の幸福や仲間の欠けた地上の平和を望むことは罪に思えた――そうすることが罪であるはずはないのに。

「それだけじゃないぞ。おまえがおまえの理想を実行することを 屈辱的な現実との無条件な迎合と受け取り、おまえを、醜い現実への抵抗を諦めた軟弱者、卑怯者、あるいは、冷血漢と思う者もいるだろう。悲しみでいっぱいの者は、敵を憎めと言ってくれる者、憎んでいいと言ってくれる者を優しいと感じるものだからな」

それが――悲しみに暮れる者の憎しみをあおる行為が―― 一種の優しさであり、思いやりでもあることを、瞬とて否定するつもりはない。
そうすることは、生き残ってしまった者が絶望してしまわないための有効な手段であるのだろう、とも思う。
愛が 憎しみや戦いを生むことは否定のしようもない。
だが、憎しみという感情が幸福につながる動機になり得るとは、瞬にはどうしても思うことができなかったのである。

「星矢でもそうなんだ。まして、奪われた者がおまえだったら、俺は――」
「氷河……」
氷河はそれは口にしたくないらしく――だから彼はその先の言葉を口にすることはしなかった。

「結局俺はダシかよ」
切なげに見詰め合う二人を横目で見やり、星矢が不愉快そうにぼやく。
氷河はそんな星矢を冷淡に無視して、さっさと結論に至った。

「ま、要するに、人が孤独に耐えられるほど強くならなければ、この手の争い事はなくならないということだな」
「――永遠に?」
「かもしれない」

瞬自身、人を傷付けることは嫌いだと言いながら闘うことを続けている身である。
氷河に強く反論することは、瞬にはできなかった。
だが、瞬は訴えずにいられなかったのである。
「憎むまいとする人も、孤独に耐えられる人も、きっといるよ」
―――と。

「皆無とは言わない。が、心弱い人間にはそうすることは困難だ」
氷河の言葉は、瞬を沈黙させた。






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