そこまでしなければ――命を捨てることまでしなければ――人は人の憎しみの芽を絶つことはできないのか――という重苦しい考えは、翌日になっても氷河の上から消え去ってくれなかった。 氷河の気持ちを軽くすることに自分は失敗したらしいと、瞬も、その日は朝から落胆気味だった。 そんな二人の間に、突然、とんでもないボリュームの笑い声が割り込んでくる。 昨日のコンピュータールームで、その爆笑は湧き起こっていた。 笑い声は主に星矢のものだったが、紫龍の苦笑も混じっている。 昨日あれほど沈鬱な空気を充満させていた部屋が、今日は異様に明るい空気に満ちていた。 「星矢、何かあったの」 瞬たちが室内に入っていくと、星矢は既に笑い過ぎで喉が嗄れてしまっている状態だった。 「おっ、瞬と氷河、いいところに! あのさ、昨日のマルチエッチなんとかでさ、逆パターンやってみたんだ、逆パターン!」 「逆パターン?」 掠れた声の星矢に瞬が反問すると、彼は水飲み鳥のようにこくこくと頷き、それから、コンピュータの操作盤の前にいる紫龍の方に視線を転じた。 「氷河がダメージ95で死にかけてるとこからスタートすんの。紫龍、おんなじ条件でもう一回やって、今のを氷河たちに見せてやれよ!」 星矢の言葉を受けた紫龍が、星矢同様笑うことをやめられずにいる様子で、その指示に従う。 見ると、その場には沙織も来ていて、彼女だけはにこりともせずに厳しい表情で、システム・リスタートの文字が表示されたスクリーンを睨んでいた。 昨日と全く同じ状況で――ただし、今回死にかけているのは氷河の方である――それは始まった。 スクリーンの中で、あの3頭身のキャラが動き始める。 ちま氷河が循環血液量の45パーセントを失い 死に瀕していることが、画面下部に文字で表示されていた。 彼は既に、自力では立つことも歩くこともできなくなっているらしい。 ちま瞬が、ちまちまと ちま氷河の側に駆け寄り、地に付していた彼の上体を抱き起こす――抱き起こしたらしかった。 『ちま氷河、死なないで!』 『ちま瞬、俺はもう……』 『そんな弱気になっちゃだめ! ちま氷河、僕を置いてくの……!』 『ちま瞬、俺だってつらいんだ……』 エージェントの姿が姿なだけに、今ひとつ感情移入はしにくいが、声の方はなにしろ本物(の合成音声)である。 なかなかの熱演、それはメロドラマのクライマックスシーンのように感動的ですらあった。 瞬は、その3頭身キャラが自分自身であることを忘れ――あるいは、自分自身だからこそ――じわりと涙ぐむことさえしたのである。 ――が、その時。 『ちま氷河の根性なしっ!』 突然、画面の中のちま氷河の身体が5メートルほど――彼の身体の2倍半ほど吹っ飛ぶ。 彼等が3頭身キャラであるがゆえに、ちまくない氷河と瞬にはシステム内で何が起こったのかの判別ができなかったのだが、懇切丁寧なシステムはその状況を文字で説明してくれた。 【 ちま瞬がちま氷河を投げ飛ばしました 】 「へっ !? 」 素頓狂な声をあげたのは、何を隠そう、ちまくない氷河その人だった。 ちま氷河を投げ飛ばしたちま瞬と同じ価値観・心理パターンを持っているはずの ちまくない瞬までが、驚きに目をみはる。 オリジナルの驚愕を無視して、スクリーンの中のちま瞬は、やたらと元気な声でちま氷河を怒鳴りつけていた。 『ちま氷河が死んだら、僕、ちま氷河を嫌いになる! それでもいいのっ』 『ち……ちま瞬…… !? 』 『ちま氷河が死んじゃったら、僕はちま氷河のことなんか さっさと忘れるよ。僕が好きなのは生きてるちま氷河だもの。生きようとしてるちま氷河だもの!』 『いや、だが、しかし、現に俺は今 瀕死の重傷を――』 『ちま氷河がもしここで死んでも、僕はちま氷河の命を奪った人を憎まない。復讐なんて考えない。ちま氷河に似た人を見付けて、幸せに暮らすんだから。その人と えっちだって いっぱいするよ。それでもいいのっ』 『ちま瞬〜〜〜っっ !! 』 スクリーンの中のちま氷河は、昨日同じシチュエーションでちま瞬が自らの命を絶ったことを憶えているのだろうか。 憶えていたとしても、今の彼は、 『おまえは自分で死んだくせにー!』 と、文句を言える状態ではなかっただろう。 もはや立つことも歩くこともできない ちま氷河が、ずりずりと這いずるようにして ちま瞬の許に近付こうとする。 ちま氷河の生のポテンシャル及び そのエネルギー値は120パーセントにまであがっていた。 |