自分と同じ価値観を持つ者のとった行動に、ちまくない瞬はあっけにとられていた。
ちまくない氷河も同様である。
そんな二人に向かって、沙織が初めて口を開く。

「驚いたことに――いえ、もしかしたらコンピュータのCPUにハードエラーが発生したのか、バグがあったのかもしれないけど、この氷河、死なないのよ。失血の割合を80パーセントまで上げてみたんだけど、それでも死なないの」
「すげー。ゴキブリ並みの生命力」
「馬鹿言わないで。あの昆虫だってとっくに死んでる数値よ」
星矢の賞賛を、沙織は厳しい口調で否定した。
もとい、重ねて賞賛した。

地上最高の生命力を誇るあの昆虫並みどころか、それ以上の生き意地を見せるちま氷河。
ちま瞬の憎しみの値は、もちろんゼロ。
ただし、ちま氷河の焦慮の数値は100を超えている。

はたして、これを愛の奇跡と呼んでいいものか――その場にいる青銅聖闘士4人が混迷の度合いを深める中、知恵と戦いの女神だけは確信に満ちた表情を浮かべ、その瞳を爛々と輝かせていた。
「でも、これでわかったわ。愛さえあれば人は奇跡を起こすこともできるんだわ。そして、その奇跡の前では、人は憎しみという感情を生むことさえできない。戦いと憎悪の連鎖を断ち切るものは、やはり愛なのよ!」

「愛というより、未練と言った方が……」
「スケベ心だろ」
星矢が紫龍の発言を、より具体的なものに修正する。
「つまり、全人類が氷河並みに助平になれば、この地上から戦いはなくなるということか?」
真顔で言ってから、紫龍は自分が口にした言葉に吹き出し、星矢もまたこらえきれずに爆笑した。

そんな星矢と紫龍のやりとりは、だが、沙織の耳にはまるで聞こえていないようだった。
「そういうことだったのね。地上から戦いをなくすことは可能なんだわ。愛さえあれば。ああ、希望が見えてきたわ!」
彼女は、ついにその輪郭が見えてきた希望の光の姿だけを見詰めていたのである。ただ一心に。

「となると、次なる課題は、人類が愛し合うためにはどうすればいいのかということね。今回の倍の予算を確保して、今回以上に優秀な人材を集めて、早速、次のシミュレーションシステムの構築に取りかからなくては!」
沙織の目は、知恵と戦いの女神の目は、そして、グラード財団総帥の目は、今、燃えに燃えていた。

愛は地上を救う――。
人類はおそらく、150億の開発費をかけたシミュレーションシステムに頼らなくても、それどころか、コンピューターなるものがこの地上に出現する はるか以前から、その事実を知っていた。

燃えまくっている沙織に、しかし、星矢と紫龍はその事実を告げる勇気を持てなかったのである。
星矢はただ ぼそりと、
「グラード財団、大丈夫なのかな……」
と、かなり不安な顔をして呟くことだけをした。






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