愛の法廷






「どんなに清らかな人だって、生きていくためには動物や草花の命を奪います。誰かを憎んだり恨んだり傷付けることも。でも、本当は誰だって、そんなことはしたくないと思っているはず。もしそれでも人間が悪だというのなら、そもそも生きているということ自体が悪ということになる。あなたはそう思っているのですか。どうなんです。教えてください!」
敵である者に、あくまでもどこまでも瞬は丁寧語を使っていた。

「残念だが、その問いに答えられる者は神しかおらん。このルネは、ここに送られてきた者を冥界の定める掟によって裁くのみ」
瞬に問われた男が、自分が定められた掟を理解することも同感することもなく、ただ従っているだけだということを恥ずかしげもなく白状する。
そして、彼は、手にしていた鞭を瞬に向かって振りおろした。
「バルロンの鞭は、その身に何回取り巻かれたかで、罪の重さを量る。自分の身体を見たまえ。君はこれだけの重い罪を重ねてきたのだ。これでもまだ自分たちの闘いが正しいと言えるのか!」
彼が言う通り、瞬の身体には幾重にも彼の鞭が巻きついていた。
刺すような痛みが、瞬の四肢に絡みついてくる。

人を傷付け倒すことが罪なのだということはわかっていた。
聖闘士にさえならなければ犯さずに済んだ罪、弱者でい続けることができさえすれば犯さずに済んだ罪。
もう二度と人を傷付けずに済むのなら、ここで死ねることはどれほど幸福なことだろう――。
瞬がそう思い、そして自らの闘いと生を諦めかけた時、
「瞬! やっと追いついたぞ!」
天貴星グリフォンのミーノスの代理として天英星バルロンのルネが司る静寂の法廷に、大音声を響かせて氷河が登場した。

「氷河……!」
その罪を責められルネの鞭にその身を巻かれ、闘い続けることを諦めかけていた瞬は、嬉しそうに明るく輝く氷河の瞳に出会った途端、実に現金に、そして あっというまに、元気を取り戻してしまったのである。
地上の平和を守護するアテナの敵とはいえ、人を傷付け倒すことは罪かもしれない。
だが、ここで自分が従容として死を受け入れれば、それを悲しむ人がいる。
自分が死を選んだ理由を知ったなら、その事実は彼を苦しめ傷付けることにもなりかねない。
その罪を、瞬は犯したくなかった。
――そんなささやかな思いが、人に生き続けるための力を与えてくれる。

「? なんだ?」
静寂の法廷の中央には、血の池地獄に投げ込まれかけたところを 瞬のチェーンによって かろうじて救いだされた星矢が倒れ伏していた。
瞬の身には、この法廷の裁判官ルネの投じた鞭が巻きついている。
氷河は、いったいこの場で何が起きているのかと訝り、その顔を奇妙に歪めながら、瞬の側に駆け寄った。
「瞬!」
氷河がその手で瞬の頬に触れる前に、瞬が いともたやすく我が身に巻きついていたルネの鞭を振りほどく。
紫龍が星矢の上体を抱き起こし、息のあることを確かめて、仲間たちに合図を送ってきた。






【next】