「――子供の頃に、神父様が話して聞かせてくれたんだ」 瞬は心配性の仲間のために微笑を作ろうと思ったのだが、瞬がそう思った時には既に、瞬の口許には笑みが刻まれていた。 「神様は愛にあふれ満ちていた。その愛を誰かに与えたかった。だけど、周囲を見回してみたら、神様はひとりぽっちでね、だから、自分の愛を注ぎ入れる器として人間を作ったんだって。僕たちは誰もが神様の愛を受け入れるための器で、神様は、特に選ばれた誰かじゃなく全ての人を愛するんだよ……って」 微笑んで瞬が語るその言葉が、氷河には不愉快だった。 その考えがどういう結論に辿り着くか、それがどんな人間のためにある考えなのか――を、腐ってもクリスチャンである氷河はよく知っていたのだ。 「どれほど現実に不満を抱えていても、どれほど現実が悲惨でも、人間は誰もが神に愛されるためにこの世に生まれてきた存在なのだと考えれば、その事実は人にとって大きな希望であり救いにもなるだろう。神が存在すると思ってさえいれば、人は誰でも希望を持っていられるわけだ」 瞬の言葉に続けて氷河が語ったそれは、瞬が幼い頃に聖職服を着た人から聞かされた話とほぼ同じものだった。 瞬が氷河に頷く。 それから瞬は、首をかしげることになったのである。 そんな優しい話を、氷河がなぜこれほど険しい顔をして語るのかが、瞬にはわからなかった。 「現実の世界やその世界に生きている人間に希望を持てない奴等が、最後にすがるのが神だ。おまえは――」 「僕は違うよ」 氷河の意図にすぐに気付いて、瞬は氷河の懸念を否定した。 瞬にとって神の愛は、最後の希望などではなく最初の希望だったのだ。 「それは確かに――神様を意識せずに生きていられる人は、現世で満ち足りている幸福な人なのかもしれない。普段 神様に馴染みのない人が神様を思い出すのは、他に希望がなくなった時だけなのかもしれない。けど、僕は――」 「おまえが急に神がどうこうと言い出したのは――」 瞬の言葉を遮ってまで発した言葉を、氷河がいったん途切らせる。 一瞬ためらってから、氷河は再度、思い切ったように口を開いた。 その時、瞬は、氷河に『なぜだ』と問われるものと思っていた。 なぜ急におまえは神のいる場所に行こうと思い立ったのか、と。 だから瞬は、その理由を告げて、氷河を安心させるつもりだったのである。 だが、氷河は、瞬の予想に反して、瞬にとってはひどく思いがけないことを問うてきたのである。 彼は瞬に、 「俺だけでは足りないのか」 と、呻くような声で言ったのだ。 「え?」 思ってもいなかったことを氷河に尋ねられた瞬は、虚を衝かれた格好で2、3度瞬きをし、氷河の顔を見あげることになった。 氷河が言葉にはせずに、『おまえの側にいる者の愛だけでは足りないから、おまえは神の愛も必要としているのか』と、瞬に問うている。 既に怒りの色はたたえていない氷河の切なげな青い瞳を見詰めているうちにやっと、瞬は氷河の不機嫌の本当の理由に気付いた。 笑えばいいのか泣けばいいのかがわからない。 ただ瞬は、どうして氷河はそんな馬鹿げた疑念にとりつかれたのだろうと、それが不思議でならなかった。 争いと戦いの絶えないこの世界で、自分が絶望などというものに囚われずに済んでいる理由が、氷河には本当にわかっていないのだろうか? ――と。 反応に悩み、言葉に悩んだ末に、瞬はやはり笑うことにした。 「氷河、もしかして神様に焼きもち焼いてるの」 からかうような調子で瞬にそう言われた氷河が、不愉快そうに唇を引き結ぶ。 どうやら図星らしかった。 さすがは2000年にひとり 出るか出ないかの大悪人、神と対等に張り合おうとするとは傲岸不遜もいいところである。 氷河はどう考えても似非クリスチャンだった。 もっとも、そんなことは瞬にはどうでもいいことだったが。 瞬が好きになったのは、信仰心の篤い清廉潔白居士などではなかったので。 「氷河だけじゃ足りないなんて、そんなことは絶対にないよ。僕はただ、神様っていうのは人に希望を与えてくれる存在なんだって言いたかったの。せっかくのクリスマスだし、僕に希望をくれる人に会わせてくれてありがとうって、神様にお礼を言いに行きたいって思ったんだ。ね、そしたら、氷河と一緒に行くんでなきゃ意味がないでしょう」 瞬が好きになったのは、瞬に希望を与え、その希望を信じさせることで、瞬に『生きている』という実感と『生きていたい』という意欲を抱かせてくれる、少々早とちりで心配性な人物だったのだ。 「瞬……」 「ね、だから一緒に行こうよ」 瞬に希望をくれる人は、瞬にそう言われてやっと、彼の懸念が杞憂にすぎなかったことに気付いてくれたらしい。 それとわからぬほどに小さく安堵の息を洩らして肩から力を抜くと、彼はその手で瞬を抱きしめた。 「おまえだ。俺に希望をくれるのは。神なんかじゃない」 神の怒りも仏罰も畏れない似非クリスチャンは、不謹慎を極めた言葉を瞬の耳許に囁いたが、それが氷河らしい神への感謝の言葉だということが、瞬には――おそらく神にも――わかっていた。 |