見送りは不要とカノンは言ったらしかったが、瞬は空港に向かうために城戸邸を出る彼を見送るために、玄関ホールに足を運んでいた。 氷河にも、それを止めることはできなかった。 「ハーデスを道連れに自分の命を捨てようとしたそうだな」 まるで たった今思い出したという風情で――相変わらず無表情で――カノンは瞬に告げた。 瞬が、一度唇を噛みしめてから、今は一人きりになってしまった黄金聖闘士に頷く。 「でも僕は、闘いを放棄しようとしたわけじゃありません。僕の命で世界が救われるならと、僕なりに――あなたに教えられた通り、諦めずに闘おうとしたんです」 カノンは、瞬の言葉を、どこか遠くを見詰めるような目をして聞いていた。 「僕には死んでほしくない人がいた。たくさんいた。綺麗事は言いません。僕は地上に住むすべての人々を救いたいと思ったけど、僕にとって“地上に住むすべての人々”は概念に過ぎなかった。あの時、僕の心の中に思い浮かんだのは、それまで命を懸けた闘いを共に闘ってきた仲間たちでした。兄さんや星矢や紫龍やアテナや氷河――僕を生かし続けてくれたのは、闘い続けさせてくれたのは、氷河たちだったから……」 そう言ってから瞬は、その視線をゆっくりと、カノンの上から氷河の上へと巡らせた。 瞬は氷河を見ていた。 瞬は人間として明確な輪郭を持ち、人間として氷河の隣りに立っていた。 人間として生き続け、しなければならないことがあることを、瞬は自覚している。 その事実を確信できた時に、氷河は、冥界での闘いの終息以降ずっと胸の中に抱き続けていた あの不安が氷解していくのを感じたのである。 瞬は、神などにはならない。 瞬は人間でいることを喜び、人間でいることを選び、仲間たちと共にあることを幸福なことと思ってくれているのだ――と。 「黄金聖闘士たちのように立派な志はなかったけど……」 申し訳なさそうに瞬が目を伏せると、カノンは縦にとも横にともなく首を振り、 「彼等の目に最期に映ったものも、仲間たちの姿だったろう」 と、呟くように言った。 「聖闘士には――人には、それぞれ闘い方があるのだと知った。正しい闘い方などない。それぞれの闘い方があるだけなのだと。――悪かったな」 「あ……」 彼はいったい何を謝っているのか――謝るようなことなど何ひとつないというのに。 一度は乾いた瞬の瞳が――今はただ一人になってしまった黄金聖闘士を見上げる瞬の瞳が――また潤みかけている。 その様を見て、氷河は、ここでカノンに課せられた宿命の悲愴に心打たれている場合ではないと、突然我にかえったのである。 ほとんど引っ張るようにして瞬の身体を自分の方に引き寄せ、その肩を抱き、挑戦的な目と口調で、氷河はカノンに言った。 「俺の瞬を助けてもらった礼を言うのを忘れていた」 「俺の?」 氷河の挑戦を、あろうことかこの黄金聖闘士は、『ふっ』と鼻で笑ってのけた。 そして、氷河の、彼に対する同情と尊敬の念は、彼に『ふっ』を飛ばされた時点で、綺麗に霧散することになったのである。 「普通の人間の振りをして車なんぞ使うな! 空港まで走っていけ、このスケベ親父がーっっ !! 」 走り出したリムジンに向かって大声で毒づく氷河に、星矢たちは思い切り呆れてしまったのだった。 |