「俺は勝つことが好きだからな。人間にも勝負にも人生にも勝ちたいと、いつも思っている」 それは、これまで幾度も繰り返されてきた寝物語の一つにすぎなかった。 そんな話になったのは――おそらく何かのゲームかスポーツで勝つことに執着する氷河を瞬がからかったことが直接のきっかけだったろう。 「負けることは無様なことなの」 「少なくとも楽しいことではないな。勝つのが好きなのはいいことだろう? 勝つためには努力しなきゃならない。勝とうと思ったら、そのための努力を怠らなくなる」 「氷河って、そんなに努力家だったっけ」 「俺以上の努力家などいない」 自信たっぷりにそう言ってから、氷河は少し忌々しげな口調になった。 「まあ、努力しているのかいないのかわからん能天気が、本番で火事場の馬鹿力を発揮することもあるようだが」 氷河が誰のことを言ってるのかを察して、瞬は苦笑した。 いついかなる時も陽性の気質を保ち続ける星矢のそれは、確かに傍目には努力の賜物には見えないだろう。 だが、ではそれは天賦の才なのかと問われれば、否と答えるしかない。 星矢はその気質を自分の力で育んだのだと思う。 彼自身も彼の周囲の人間も、それを努力と認識していないだけで。 氷河の意見に反駁したい気持ちがないわけではなかったし、そのための材料も持っていたが、瞬は何も言わずにいた。 母親の死、大人の言いなりになるしかなかった屈辱的な少年時代。 それを自身の非力ゆえと思い込んでいるからこそ、氷河の内には何事にも勝者でいたいという思いが養われたのだろう。 その気持ちはわかるし、許せる。 それは同時に、悲しく感じられるものでもあったが。 だから瞬は、曖昧にぼやくだけにしたのである。 「そんなに勝つことは大事なことなのかな」 ――と。 「何にでも勝ちたいと思っているわけじゃないぞ。大食いで星矢に勝ちたいとは思わんし、薀蓄の垂れ流しで紫龍に勝ちたいとも思わん。だが、勝ちたいと思う勝負には勝ちたい」 「僕にも勝ちたい?」 それは、氷河には想定外の質問だったらしい。 彼は一瞬 瞳を見開くと、瞬の隣りに仰向けていた身体を起こし、思いがけないことを訊いてきた恋人の顔を覗き込んだ。 「可愛らしさでか? 俺は負けの見えている勝負には挑まないことにしている」 瞬の唇に唇を重ね、その舌を捕えて からかうように噛む。 「時々、意地の悪いことを言う この甘い舌を噛み切って食ってしまいたくなる」 言われた瞬は、もちろんそれが冗談だということはわかっていたのだが、自分の身体に重ねられていた氷河の裸の胸を押し返そうとした。 氷河が、瞬の努力(?)に免じて、2、3センチばかり上体を浮かせる。 「そんな恐いこと言わないでよ。僕は意地悪で言ったわけじゃない。真面目に訊いたの」 氷河は、瞬の反応を楽しそうに笑って見下ろしている。 瞬は少しだけ口をとがらせた。 「バトルでは俺が勝つ。おまえは本気で俺を敵と思うことができないから」 「氷河はそう思うことができるの」 「俺が?」 ごく僅かな時間、それでも氷河は、瞬に問われたことを真面目に彼自身に問うてみたらしい。 やがて、 「わからん」 という、いたく正直な答えが返ってきた。 驚かされた仕返しに、瞬は彼に食い下がったのである。 「僕がたとえば、敵に洗脳されるとかして、本気で氷河を倒そうとして、氷河が僕を倒さなきゃ、この世界が崩壊するかもしれない。そんなことになったら氷河はどうするの」 瞬が軽い意地悪で問うたことに、氷河はまた真剣に考え込む素振りを見せた。 短い沈黙のあと、氷河が、やはり真剣な目をして、呟くように言う。 「俺は、偉そうなことを言うわりに一人では生きていられない男だから、おまえを殺して俺も死ぬかな」 「倒してはくれるんだ」 その答えに安堵を覚えてしまう自分は、どうしてもアテナの聖闘士という宿命から逃れられないようにできているのだろう。瞬は そう思わざるを得なかった。 氷河の言葉に安堵した瞬は、自分を殺すと言う人間に微笑むことさえした。 「じゃあ、僕は星矢や兄さんに頼んでおかなきゃ。そうなった時、氷河を死なせないでって」 「あいつらに何を言われても、俺は自分の意思は変えないぞ」 「じゃあ、僕が今 頼んでおく。氷河はそれでも生きていて……って」 「……考えておこう」 氷河は溜め息のようにそう言って、だが、その言葉を実践することはしなかった。 少なくとも、その夜、その場では。 彼は、彼の命の始末について考える代わりに、僅かに保っていた胸と胸の間の隙間を埋め、瞬の唇と舌を食しながら、その手を瞬の腿の内側で動かし始めた。 「あ……!」 そして、瞬は――瞬もまた――どちらが勝者なのかの判定の難しい その勝負に心と身体を委ね、すぐにそれまでの氷河との他愛のないやりとりを忘れてしまったのである。 |