(あの時、氷河は考えもしなかったんだろう。僕も考えなかった。氷河が本当に、僕の前に敵として立つことがあるなんて) オーディーン神の地上代行者ドルバルが治める――今は『支配する』と言うべきか――北欧の国、アスガルド。 その北の国に異変ありとの知らせを受け、仲間たちに先立って教主ドルバルの居城ワルハラ宮を訪ねていたはずの氷河が、今はアテナに敵対する者として瞬の前にいた。 オーディーンはアテナより優れた神であり、教主ドルバルに従う その言葉自体には、瞬は衝撃を受けなかった。 氷河の信じる神は いつもアテナ以外の神だった。 彼がアテナに従っていたのは、それがアテナだからではなく、城戸沙織の思想と理想に賛同しているからだと、瞬は解していた。 そして、強さの 実際に闘う以前なら、誰がどういう判断を下しても、瞬はその意見に異を唱えるつもりはなかった。 氷河なら、正気でいる時にも それくらいのことは言いかねない。 だから、瞬を驚かせたものは そんな言葉ではなかった。 瞬は、何よりも氷河の瞳の色に驚いたのである。 青い空の色ではなく、海水が凍りついてできた氷のような氷河の瞳の色に。 氷河が正気でないことは確実だった。 少なくとも、今 瞬の目の前に立つ男は、瞬の氷河ではない。 氷河は鮮やかな色の戦闘衣を その身にまとっていた。 それは、白い世界で、その世界に反逆するように燃え立つ炎の色をしていた。 見慣れぬ闘衣をまとい純白の世界の中心に立つ彼の姿を見て、やはり氷河は美しいと、瞬はうっとりしたのである。 そんな美しさに酔っている場合ではなかったのに。 あの時、氷河の愛撫に心と意思を任せて考え損ねたことを、今急いで考え、結論を出さなければならない。 地勢は瞬に圧倒的に不利。倒すと決めても倒せるかどうかすらわからない状況だった。 勝機がないわけではないだろうが、不利なことに変わりはない。 無論、氷河を敵として倒したりなどしたくない。 おとぎ話のように、キスで 今の氷河が 倒さなければならない敵であることもわかっている。 そして、氷河は尋常の敵ではない。 アテナの聖闘士がここで彼を倒しても、彼を倒さなければならなくなった者の気持ちを 氷河はわかってくれるだろう、とも思う。 倒しやすい敵と、言えば言えた。 (でも……!) 「氷河、目を覚まして! 僕がわからないのっ !? 」 だが 瞬は、この地上のためではなく、自分自身のために、彼を倒したくなかった。 「自分が誰なのか、わからないの!」 氷河の拳をよけながら、瞬は氷河に悲鳴のように問いかけた。 攻撃主体のスクウェアチェーンならまだしも 防御のためのサークルチェーンが、あっさり氷河の凍気によって砕かれる。 「アスガルドの教主ドルバルの神闘士ミッドガルド」 冷たく、氷河は今の彼の名を名乗った。 「アテナの聖闘士というのは、この程度のものだったのか。手応えのない」 あの時 氷河が言っていたように、彼を倒して自分も死のうかと、瞬は半ば本気で考えたのである。 アテナの聖闘士が恋に殉じたなどということを知ったら、さぞかし兄の怒りを買うだろうとは思うが、兄はわかってくれるに違いないとも思う。 そして、わかってはくれるだろうが許してはもらえまい――とも。 迷い悩み、そのために瞬は攻撃のための小宇宙を燃やすことができずにいた。 そして、氷河の冷たい拳をよけるのに必死だった。 その瞬を、凍気を帯びた拳よりも冷たい言葉が刺し貫く。 |