かぐや姫の住む館は、いわゆる有力貴族の館が立ち並ぶ都の中心からは かなり外れた場所にあったが、屋敷自体は相当の広さがあった。
南の正面に正殿である寝殿、その東西と北に対屋、寝殿の前の庭には池と築山と中島。貴族の館としての体裁は十分に整っている。
邸内の手入れがしっかり行き届いているところから察するに、舎人や女房たちも館の規模にふさわしいだけの数がいるらしい。
館の趣味の良さも、十分に氷河の心に適うものだった。

藤原北家の内では氷河より更に傍系の家――ということだったが、おそらく瞬の兄というのはよほどのやり手なのだろう。
親王の代理で国守として東国に下っているという話だったから、内裏でもそれなりの影響力を持っているに違いない。
政治向きのことには興味がない自分が知らなかっただけなのかもしれない――と、氷河は考えを改めた。

門を入って年かさの女房に来意を告げると、星矢とは顔見知りらしいその女房は、“殿”は庭に面した釣殿の方に行っているようだと教えてくれた。
星矢は勝手知ったる他人の館と言わんばかりに 彼女の案内を断り、氷河を従えて 迷う様子もなく東対屋に沿って中門を抜けた庭に出た。
小振りながら見事な造りの庭の池の中島に架かる(けやき)橋の上に、小柄な少年の姿がひとつあった。

「瞬ー!」
星矢が大きな声で“殿”の名を呼び、子供のように右の腕をぐるぐると振りまわす。
「星矢!」
橋の上にいた星矢と大して違わない体格の人物は、全く子供の声で幼馴染みの名を口にすると、小犬のように橋を駆け下りてきた。
どうやら、それが噂のかぐや姫のようだった。
桜の花の色と同じ狩衣(かりぎぬ)を身に着けているところを見ると、やはり姫ではなく男子らしい。
手の届くところまで駆けてきた少年を日の光の下で確かめて、氷河は低い呻き声を洩らしたのである。
星矢の審美眼を完全には信じていなかった自分自身を少なからず恥じて。

今かぐやは、確かに美しかった。
彼は、絶世の美姫というのではないが、いかにも清潔そうな肢体と澄んだ瞳を持っていた。
星矢と大して変わらない歳なのだろうが、星矢とは正反対に所作もやわらかく品があり、顔の造作も陽光に耐え得る。
少々覇気に欠けるきらいがないでもなかったが、星矢に比べれば大抵の人間は大人しいに決まっていた。
つまり、今かぐやは 正真正銘の美形だった。
女の装束を着せ、月の世界の姫君と紹介すれば、半信半疑にしても10人に8人はそれを信じるに違いない。
日の光の下で 肌の肌理(きめ)まで観察し、氷河はそういう結論に至ったのである。

「月の世界の男は稚児趣味でもあるのか」
独り言のように呟いてから、氷河は、自身の横に立つ星矢を、半ば責めるように問い質した。
「なぜ、もっと早くに会わせなかった」
「おまえの好みなのがわかってるからだよ」
「確かに噂ばかりの美女なんぞ足元にも及ばぬほどの美形だが、それでも男なんだろう」
「でも、好みだろ」
「ああ」
それは否定できない――。
とはいえ、氷河には 瞬は初めて出会う類の人間だったのだが。

「星矢、この方が……お綺麗なお母上の面影を追ってるっていう――?」
かぐや姫が、彼の幼馴染みの隣りに立つ男の顔を見上げ、僅かに戸惑ったように首を横に傾ける。
「ああ。氷河っていうんだ。えーと、今は近衛府の右近衛将監だったっけ?」
「一応そういうことになっているが……」
星矢に浅く頷きつつも、まず母親の話が出てくるあたり、自分はかぐや姫にどういう人物と伝えられているのかと、氷河は一抹の不安を覚えることになったのである。






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