瞬が死んだのは、一度は決着がついた神々の戦いに、ハーデスが難をつけてきたからだった。 愛は死よりも強い――。 白鳥座の聖闘士とアンドロメダ座の聖闘士の場合にはそうだったかもしれないが、それは人間のすべてに当てはめられる事実ではあるまいと、ハーデスはアテナにクレームをつけてきたのである。 仮に同じ二人で試したとしても、死んだのが瞬の方であったなら同じ結果に至ったかどうかは はなはだ疑問である――と。 義人ヨブにファウスト博士―― が、ハーデスは頑として沙織の主張を聞き入れようとはしなかった。 神とは自らに与えられた永遠の時を持て余している者、要するに暇人なのである。 その暇人が地上を滅ぼすほどの力を有しているのだから 始末におえない。 沙織はあまり気が乗らなかったのだが、結局、二度目の試みを為したいというハーデスに押し切られてしまったのだった。 無論、人の生き死に に関することを余人で試すわけにもいかない。 今度の試みのモルモットも、アテナの聖闘士たちで――前回とは逆のパターンを試したいというハーデスの要望を入れて、氷河と瞬で――行なわれることになり、今回死ぬ羽目になったのは当然のことながらアンドロメダ座の聖闘士だったのである。 瞬の死を知った氷河は、ただの1分も迷うことなく、オルフェの例にならい冥界へと下っていった。 “瞬の幸福”は“氷河の幸福”であると確信している氷河は 迷うことなどしなかった。 その上、生きている氷河は生気と覇気に満ちていた――つまりは欲に満ちていたのだ。 冥界の8つの獄、3つの谷、10の壕、4つの圏――を疾風のように駆け抜けて、ハーデスのいるジュデッカに辿り着いた氷河は、『こんにちは』の挨拶ひとつせず、唐突に用件に入った。 「瞬を生き返らせてくれ」 「アテナの聖闘士がハーデス様に情けを乞いにきたか」 あざけるように氷河に言ったのはハーデスではなく、彼の側に控えていた黒衣の女性だった。 ちなみに、彼女は生きている氷河が好きではなかった。はっきり言うなら嫌いだった。 一度は弟とも呼んだ、生きている人間の中では稀有なほど清らかな存在であるところの瞬に 欲に満ちた目を向ける男を、彼女に好きになれと言う方がどだい無理な話なのだ。 が、他人のあざけりなど気にしていたら、氷河は氷河という商売などしていられない。 彼はパンドラの嘲弄に臆することなく――むしろ堂々と、言い放ったのである。 「瞬を取り戻すためなら、俺はハーデスにでもポセイドンにでも頭を下げるぞ」 「見上げた心掛けじゃ。自分の欲しいものを手に入れるためになら、どんな無様なこともするというわけだ」 「当然だ」 アテナ以外の神に跪くなどという、アテナの聖闘士にあるまじき行為に及ぼうとしているにも関わらず――それ以前に、人間として許されぬ行為をしているにも関わらず――氷河の態度は、負い目のかけらすらも感じられない、全く悪びれないものだった。 |