沙織のその場しのぎの言葉を、ハーデスは本気で受けとめたらしい――おそらくは意図的に。
彼は、瞬を説得する機会を与えてほしいと沙織に申し出、沙織は瞬の意思を尊重すると言った手前、彼の要請をむげに拒むことができなかった。
結局沙織は、ハーデスの日本滞在中のガイドとして、瞬を黒衣の異邦人に貸し出すことを了承したのである。

6年も日本を離れていた瞬に何ができるのかと、最初のうち氷河は 心配しつつも侮っていたのだが、瞬は与えられた仕事を存外にそつなく――しかも楽しげに――こなすことができたらしい。
瞬の器用さを失念していた自分の油断に、氷河は臍を噛むことになったのである。
瞬は毎夕、彼がその日ハーデスと共に過ごした時間を、仲間たちに語ってくれた。

ハーデスと瞬は、主に、彼が新規に店舗を出すのに向いた場所を求めて下見を続けているらしく――つまりは、人の多く集まる街を歩き回っているということだった。
氷河は、そんなことを経営者自らがする企業の規模も質も極めて軽く見ていたのだが、それも彼の認識違いだったらしい。
ある日、毎日のガイドの礼と言われて瞬がもらってきた小さな宝石箱を、沙織に目利きしてもらったところ、その小さな箱ひとつが50万はするという答えが返ってきた。
瞬は驚き、もちろん、すぐにそれを贈り主に返す決意をした。

その出来事で氷河は、ハーデスがガイドを雇う金にも事欠く田舎の質素な雑貨屋の主人などではないことだけは知ることができた。
“ガイド”はただの口実にすぎず、彼の目的は、瞬を連れ出すこと、瞬の側にいること――要するに、瞬自身なのだ。
氷河はそう考えざるを得なかった。

しかも、ハーデスを語る瞬の口調は日に日に親しげなものに変わっていき、それが氷河を一層苛立たせることになった。
本来なら、人当たりが優しい分 慎重で、なかなか他人と深く交わろうとしない瞬が、なぜこれほど短期間のうちに急激にハーデスとの親密度を増していくのか、氷河には合点がいかなかったのである。
不思議でさえあった。
まるで氷河よりもずっと昔から瞬を知っていたかのように そつなく、そして、瞬の臆病にも似た慎重さを見透かしたように巧みに、ハーデスは確実に瞬の心をその手の内に取り込んでいっているように、氷河には思えた。






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